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きびしくフルイにかけるからこそ良いモノが得られるという当たり前のこと

 「間違っていることが証明されたわけでもないのに、ニセ科学と決め付けるのは不当だ」又は「否定するなら証明を」というご意見を、ちらほらお見かけします。
 こういう文章を見て、「ああ、間違いが証明されていないのか、じゃあもしかしたら正しいのかもしれないな。一概に否定したらいけないな」と思ってしまうのは、ちょっと危ういかもしれません。

 現代社会に生活している私達は、科学が非常に有用なツールであることを実感しています。
 この有用性は、科学的に正しいモノと正しくないモノとを的確に判断し、適用・応用することによってもたらされています。
 科学的に正しいモノを活用するから、効果が期待できるし、期待したとおりに効果が得られるわけです。

 では「科学的に正しい」「科学的に正しくない」とはどういう意味なのか、そして冒頭の意見をどう捉えるべきなのか、それを今回は書いてみようと思います。

 さて、「○○は科学的に正しくない」という言葉の意味として私達が思い浮かべるのは、以下の2つのうちどちらでしょうか。

1.それが間違いであると証明されている
2.それが正しいと証明されていない

 普通は1番、と思います。「実験をやってみたら間違いということがわかった」とか、「論理的に間違いが証明された」とか、なんとなくそんなイメージ。でもそれって、上手く機能しない考え方なんです。

<科学的に間違っていることを実験で証明できるか>
A「この実験が失敗したのは温度が30℃だったからだ。50℃でやれば成功するに違いない」
B「いや、50℃で試してみたけど、ダメだったよ」
A「じゃあ、気圧が1気圧だったからだ。10気圧なら大丈夫」
B「10気圧も試してみた。やっぱりダメだった」
A「きっと振動だ。微細な振動が悪影響を与えたに違いない」
(以下無限ループ)

 科学の実験って、厳密に条件設定して実施されます。温度を30℃と決めたら、30℃でやります。その実験が望みどおりの結果にならなかったときに、この条件を変えたらうまく行くかもしれないと考え,実際に条件を変えて再実験すること自体は自然なことでしょう。
 では、「どんな条件でやっても絶対にうまく行かない」という事は証明できるでしょうか?

 出来ません。

 温度一つとっても、下限は決まっていますが上限はありません。100℃まで実験しても、1万℃まで実験しても、「全部確認しました」なんて言えません。
 圧力だって同じ。
 ありとあらゆる条件を全て確認するなんて、無理です(ましてや「いや、今まで考慮されていなかったけれど、このパラメータが実は・・・」とか「交互作用が」とか言い出した日にゃあ、もうw)。
 つまり「間違いであることを実験で証明する」ことは不可能、ということです。(※1)

<科学的に間違っていることを論理的に証明できるか>
 ある主張の論理に誤りが有る場合、それを指摘するのは可能です。
 問題は「論理的な誤りの有無」が科学的な正否の判断に使えるかどうか。
 で、これが使えないんですねえ。

 「論理的な誤りを含む主張は科学的に間違い」これは良いでしょう。
 しかし、「論理的な誤りを含まない主張は科学的に正しい」とは、言えません。
 ごく簡単な例だけ示しておきますね。
「全てのリンゴは赤い」は、論理的な誤りを含んでいませんが、正しくありません(世の中には赤くないリンゴもありますから。「あるリンゴは赤い」なら正しいですね)。

 科学的仮説において、いずれも論理的に正しい、にも拘らず両立しないモノは一杯あります。どちらが正しいのか(あるいは両方とも正しくないのか)を決めるのは、論理的な正しさではない、という事です。
 論理的な誤りの有無って、例えるならボクサーの計量みたいなもんです。クリアしてなきゃ、そもそもリングに立てないんですね。勝つか負けるかはその後のお話。

<じゃあ,どんな方法なら間違いを証明できるの?>
 ここまで書いた事をまとめるとこんな感じです。

1.ある主張が科学的に間違っていることを実験によって証明することは不可能
2.ある主張が論理的に誤っていることを証明することは出来るが、それだけで科学的な正否を決定することは不可能

 実験でも論理でも無理なら、どうやって間違いを証明すればよいのでしょうか。
 この疑問に対する科学の答えはこうです。

「間違いを証明することなど無理。正しさが証明されたものだけを正しいとし、それ以外は全て間違いとしておきましょう」(※2)(※3)

 よって、「科学的に正しくない」の意味は、「科学的に正しさが証明されていない」になります。「正しいかどうか分からない」モノはNG。「間違いの証明が云々」という時点で、もう科学の作法からは外れているわけですね。(※4)

 以上を踏まえて、冒頭の意見に対する返答は、こうなります。
「間違いの証明など不可能だし不要。科学的に正しさが証明されたわけでもないのに「正しい」ことを前提して振舞っている時点で、ニセ科学と判断するには充分」(※5)

 科学って、「正しさ」に対してすごく厳しいです。その厳しさこそが、科学の有用性を生み出しているんです。

 「間違いが証明されたわけではない」
 科学者ではない私が見ても、苦しいセリフだな、って思います。(※6)

<最後に>
 「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と同列に扱っちゃって構わない言葉をいくつか並べておきますね。

・「間違っているとは証明されていない」
  →要するに、正しいとは言えないってことね。
・「将来必ずや証明されるだろう」
  →要するに、現時点で正しいと証明できてないってことね。
・「従来科学では説明できない」
  →要するに、なにも分からないってことね。
・「科学を超えた」
  →要するに、科学の土俵に乗れないってことね。
・「現在解明が進められ、驚くべき事実が続々と明らかになっている」
  →要するに、まだ調べてる最中なのに吹聴してるってことね。

<注釈>
※1
 もちろん「これこれこういう条件では否定的な結果が得られた」とは言えます。普通なら、それで済む話なんですけれどね(^-^; 適用範囲まで含めて仮説なんだから。

※2
 これが真理だとかそういう話ではなく、みんなに合意・共有されている条件みたいなものですが、科学が大きな成功を収めていることを鑑みれば、妥当な考え方だと言えるでしょう。
 「じゃあ、間違いだと言っているものの中に、実は正しいものが含まれているかもしれないじゃないか」と思う人もいるかも知れません。
 その通りです。
 その場合、改めて正しさをきちんと証明すれば、いくらでもその正しさは受け入れられます。受け入れてもらうために多大な努力が必要になる場合もありますが、科学者自身はいつでもその努力を払い続けています。同じだけの努力を払うべき、ですよね。

※3
 「正しさを証明するとはどういうことか」も、深く考え始めると難しいのですが、このエントリでは簡潔な表現にとどめておきます。ご容赦ください。

※4
 このような説明を受けると、その科学のお作法自体に文句を付け始める人もいます。
ニセ力士「そもそも、地面に手がついたら負け、などというルールが本当に正しいのか?」
力士  「いや、そんなこと言われてもなあ・・・」

 スポーツならルール変更は可能かも知れませんね。科学をルール変更したとき担保に入れられるのは,私たちの安全な生活です。自分の安全をチップにするなら、私はもっとマシなことに賭けたいなぁ。

※5
 言うまでも有りませんが、「科学的に正しいか正しくないか」が世の中の全ての基準、ではありません。
 宗教が正しいか、道徳が正しいか、などは、そもそも科学で判断するべきことではありませんし、ニセ科学として批判されることもありません(神学や倫理学を否定しているわけでもありません。そこは文脈でご理解ください)。
 「科学」を装いさえしなければ、そもそもニセ科学批判の俎上に登ることは無い、という事ですね。

※6
 フルボッコにされながら「今日は引き分けだな」みたいな。

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