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100回に2回外れるクジと2回に1回当たるクジ、どちらを買いますか?

 ニセ科学批判者に対して「科学至上主義」「科学を信仰しているだけ」って投げかけるコメントを時々見ます。

 これ、気をつけなきゃいけないポイントなのは確かです。科学が今まで成果を上げていたからと言って、今後も大丈夫かどうかは分からない。科学が機能を十全に発揮するように、私達はしっかりチェックしなくちゃいけません。科学を盲信する姿勢は、厳しく戒められるべきだと思います。

 ん? よく考えたら、そのチェックがしっかり働いているからこそ、ニセ科学が分かるんですよね。ああ良かった(^o^)
 ニセ科学側の人に対しては、「盲信していないからこそ、ニセ科学が判別できるのだ」と答えられそうです。

 ただしそれは、科学に造詣の深い人たちのお話。
 私たち一般の消費者は,信仰云々は別としても、科学について理解できない部分を残したまま信じ,支持しているところがあるのもまた事実。先端科学はもちろん基本的な知識ですら,私が理解していないものってイッパイあります。
 にも拘らずなぜ私は科学を支持しているのか。その理由を、今日は書いてみたいと思います。

 このエントリは科学に不信感を持ち、科学的でないモノを(それが科学的でないからこそ)信奉する人たちへのアンチテーゼでもあります。ニセ科学は科学を装っているからこそ批判されるわけですが、科学を装っていなくても科学を否定するようなモノについては、私は反対するという事です。(※1)(※2)

<なぜ私は科学を支持するのか>
 「科学を支持する」というのをもうちょっと正確に書くと,「社会の営みの中で科学を活用することは正しいことだと考える」ということです。
 なぜそう考えるのか。
 私は「科学は社会の安全性を高める上で有用だから」と答えます。その根拠は死亡率の低下(長寿命化)

 というと「ちょっと待って、農薬だとか、重金属だとか公害だとか、科学がリスクをもたらしていることなんて、いくらでもあるじゃない」とか、「科学は万能じゃない」という声が聞こえてきそうです。

<科学にリスクはあって当たり前。他のあらゆることと同じく>
 科学は発展します。発展に伴って社会は変化し、それまでになかった新しいリスクが生まれます。だから私達は「科学が次から次にリスクを増やしている」と感じます。でもこれ、錯覚の部分が大きいんですね。「新しいリスクだ」は正しいけれど「リスクが増えている」「科学のせいだ」は錯覚だ、ということ(※3)。

 科学に限らず、何かを変化させれば、そこには必ず新しいリスクが生まれます。
 「科学」ではなく「変化」がリスクを生むんです。じゃあ、なぜ変化させるのか。
 リスクを減らすためですね。

 最近はQOL(クォリティ オブ ライフ)を高めることが主眼になっていてあまり実感できなくなっていますが、そもそも社会は「こんなリスクがある。じゃあこう変えればもっと安全になるのではないか」と考えて、変化してきた面があるわけです。

 物事には必ずリスクとベネフィットが存在します。ベネフィットとはつまり、別のリスクを減らすことです(※4)。新しく生まれるリスクよりも、それによって減らされるリスクの方が大きければ、リスクの総量は減少します。だから私達は、生まれるリスクのみを見るのではなく、ベネフィットだけを見るのでもなく、両者の差し引きで判断をしなければなりません。(※5)

1−1.
 社会の安全性を高めるためには変化が必要。
1−2.
 社会の変化には必ず新しいリスクが伴う。
1−3.
 社会の変化は科学の発展によってもたらされる。
1−4.
 よって、科学の発展がリスクを発生させているように見える。

 私達は、社会の安全性を高めていこうと志向するのであれば,新しいリスクの発生を許容する必要があります。

<リスクが見えるからこそ、科学は安全を追求できる>
 今後も間違いなく新しいリスクは発生し続けるでしょう。そして科学はそのリスクをあからさまに示します。
 目に見える明らかなリスクに不安を覚える、という気持ちは分かります。でも、リスクをしっかりと見積もり、対処できるからこそ、科学は有効に働いて、私達の生活は安全になってきたのです。(※6)

2−1.
 科学はリスクを目に見える形で示す。
2−2.
 科学以外の物は、リスクが目に見えない。
2−3.
 見えても見えなくても、リスクが存在していることは変わらない。
2−4.
 科学はリスクが見えるからこそ、それを減らしていける。

 農薬、公害、薬害、ダイオキシン・・・・次から次へと現れるリスクを憂うあまり、科学そのものを否定したい気分になっている人には、科学と安全の関係についてもう一度考えてみていただきたいな、と思います。
 リスクを減らしたいという心の動きはとても自然なものです。でも、「見える」リスクを忌避するあまり科学そのものを否定することは、結局「見えない」リスクを増大させてしまうのではないでしょうか(※7)。

<科学が万能じゃないのも当たり前。他のあらゆることと同じく>
 科学って、不完全なものです。良かれと思ってやったことが良くなかったり、思わぬ副作用が出たり、大事なものを見落としたり・・・
 でもこれも、科学だけじゃなくって、人のすること全てに当てはまることですよね。その中で、科学は少なくとも今まで他のモノに優る成果を残してきているわけです。

3−1.
 人のする事に万能なモノはない。
3−2.
 科学も人が扱うツールである以上、万能ではありえない。
3−3.
 それでも科学は、社会の安全を高める上で、現在最も有用なツールの一つである。

<結語>
 科学に不信感を持ち、科学を否定しようとしている人たちの言葉は、私の耳にはこう聞こえます。

 「このクジは100回引くと2回も外れてしまいます。だからこちらの2回に1回は当たるクジを買いましょう」(※8)

 

<注釈>
※1
 「批判」ではなく「反対」です。詳しくは※8にて。

※2
 科学を否定も肯定もしないモノについては反対しません。

※3
 現代社会では変化の規模が大きいため、リスクの規模も大きくなる傾向があります。変化に対してより慎重な判断が必要な時代になっているのは確かです。リスクの大規模化が科学に対する不信感を植え付けている面もありそうですね。

※4
 欲望の充足みたいなものを「リスクを減らす」と表現していいかどうか,ちょっと迷ったのですが、まあなんとか表現しうると判断しました。根拠は以下の二つです。
(1)欲望の充足が人間の精神面でのリスクを減らしている面はあるだろう
(2)人間の自然な欲求が物理的な安全性の追求を本来的に含む面はあるだろう

※5
 リスクの中には、「思いもしなかったリスク」も含みます。例えばアスベストの例に見られるように、私達の予想を超えて発生しうるリスクも世の中にはままありますが、リスク評価はそれを織り込んでなされる(なされなければならない)ということです。

※6
 繰り返しますが、初期に予想し得ない「隠れた」リスクはあります。隠れたリスクがあったことが後に明らかにされるのも科学のチカラによって、ですよね。

※7
 既にあるリスクを受け入れ続けるのは、新しいリスクを受け入れるよりも楽なことです。リスクとベネフィットをしっかりと比較できる形で提示することは、新しいものを受け入れてもらおうとする人にとって必要なことですね。
 そして受け入れる側である私達消費者は、リスク0を求めるのではなく、リスクがあることを前提にして、それを明確にすることを求めていくべきでしょう。

 もちろん、リスクをいたずらに広げるミスや作為は厳しく批判されるべきです。でも、ミスや作為がなかったとしても、リスクは発生しうるんです。私達はその可能性を理解し、自分の選択の結果として受け入れる必要があると思います。

※8
 私は社会の安全性向上に価値を見出しているので、科学を肯定しているんですけど、安全性向上に価値を感じないのであれば、科学を否定する立場が出てくるのは充分考えられることです。
 「成人するまでに2人に1人は死んでしまうような世界、平均寿命が30歳前後の世界に戻ろう。それは素晴らしい世界だ」というわけですね。

 私は人間の価値観として、そういう考え方自体を否定はしませんし、特に環境問題と絡めれば、心情的には理解できるような気もします。
 でももし本当にそういう人がいたら反対はします。私は、家族や友だちが安全に長生きできる社会がいいです。

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コメント

>ニセ科学批判者に対して「科学至上主義」「科学を信仰しているだけ」って投げかけるコメントを時々見ます。

ニセ科学批判者が批判される最も大きな理由は、皮肉なことに「科学的」ではないからです。科学とは物事をよく見つめ、それまでの知見と照らし合わせて客観的に考えることです。

しかし、ニセ科学批判者は、物事を見つめることなく、それまでの知見をさぐろうとせず、主観的に非難することが少なくありません。マイナスイオン批判がその最たるものです。

その意味で、ハブハンさんの指摘はピントはずれではないでしょうか。科学自体は盲信するものでも、不信を抱く対象でもありません。リスク認知もニセ科学に直結する概念とはいえません。

投稿: SSFS | 2009年3月21日 (土) 21時46分

 SSFSさん,こんにちは。コメントありがとうございます。
 申し訳ありませんが,いただいたコメントの内容がうまく把握できませんでした。

>その意味で、ハブハンさんの指摘はピントはずれではないでしょうか。

の,「その意味で」の部分が良く分かりません。私のエントリのどこに対応しているのかが分からないんです。
 私は今回,特になにかを指摘したつもりは無かったので,もしよろしければSSFSさんが「ハブハンは○○を指摘している」と解釈している点を教えていただけませんか。それが分かれば,SSFSさんが書かれていることが分かるかも。
 もし私の文章が誤解を誘うような表現になっているようなら,修正を検討いたしますので。

>科学自体は盲信するものでも、不信を抱く対象でもありません。

 科学はツールですもんね。
 大工さんは自分の使っているカンナに対して盲信も不信も抱いてはいないでしょうけれど,信頼はしているでしょうし,信頼する上で必要なコト(無条件に信頼できる訳ではないこと)も分かっているでしょう。
 科学も同じ,ですよね。

>リスク認知もニセ科学に直結する概念とはいえません。

 んー,どうも私のエントリの内容が「ニセ科学に直結する」ものと解釈なさっておられるのかな? マクラの部分でちびっと触れただけで,今回はニセ科学もニセ科学批判も主役ではないのですが・・・
 このエントリのテーマは以下のとおりです。

>私たち一般の消費者は,信仰云々は別としても、科学について理解できない部分を残したまま信じ,支持しているところがあるのもまた事実。先端科学はもちろん基本的な知識ですら,私が理解していないものってイッパイあります。
 にも拘らずなぜ私は科学を支持しているのか。その理由を、今日は書いてみたいと思います。

>「科学を支持する」というのをもうちょっと正確に書くと,「社会の営みの中で科学を活用することは正しいことだと考える」ということです。


 で,「社会の営みの中で科学を活用する」上で,リスクについての認識は重要だと私は考えておりますので,今回のエントリではその観点を含んでおります。
 もしSSFSさんが(多分そうではないだろうと思いますが)「社会の営みの中で科学を活用する」上で,リスク認知は関係ないとお考えでしたら,ちょっと興味があるので詳しくご説明いただけると嬉しいです。

投稿: ハブハン | 2009年3月22日 (日) 11時08分

>んー,どうも私のエントリの内容が「ニセ科学に直結する」ものと解釈なさっておられるのかな? マクラの部分でちびっと触れただけで,今回はニセ科学もニセ科学批判も主役ではないのですが・・・

と言われても、このブログが冒頭に「ニセ科学,ニセ科学批判について,ちまちまと情報収集しています」と宣言しており、このエントリでも「このエントリは科学に不信感を持ち、科学的でないモノを(それが科学的でないからこそ)信奉する人たちへのアンチテーゼでもあります」とあるので、単なるマクラとは受け取っていません。

私も言葉が不十分でしたが、「科学」にはいくつかの意味があります。私が先に上げたのは、物事に接する際の「科学」する態度のこと。プロの学者が築き上げた一般的な知的成果としての「科学」もあります。前者はかなり普遍的ですが、後者に批判的だったり(宗教など)挑戦的だったり(水伝など)する考えがあります。さらに本エントリでは、先端技術と一体化した「科学」も顔を出していますね。そのあたりは峻別されたほうがよろしいかと。

あと、ニセ科学を論じるなら、比喩は差し控えたほうがいいでしょう。ふさわしくない比喩をすると、事柄の説明がますます混乱するだけですから。ニセ科学批判者の中には、実際に起きている現象を見ようとせず、下手な比喩で煙に巻こうとする人がいます。

投稿: SSFS | 2009年3月23日 (月) 00時24分

SSFSさん,こんにちは。

>と言われても、このブログが冒頭に「ニセ科学,ニセ科学批判について,ちまちまと情報収集しています」と宣言しており、このエントリでも「このエントリは科学に不信感を持ち、科学的でないモノを(それが科学的でないからこそ)信奉する人たちへのアンチテーゼでもあります」とあるので、単なるマクラとは受け取っていません。

 単なるマクラでは無く,どう受け取られたのでしょうか。
 私が,ん?と思っているのは,SSFSさんの「直結する概念とはいえません」という表現です。「ハブハンが『リスク認知』とニセ科学が直結しているかのような書き方をしている」とSSFSさんが解釈なさった,ということですよね?
 そのような解釈がなされているからこそ「ピントはずれ」などと言うコメントをいただいたのではないですか?

 ブログ全体がニセ科学に関連する情報を取り上げているのはもちろんです。本エントリも間接的にはニセ科学に関連していますよね。科学を支持する理由は,ニセ科学を批判する動機に繋がるものですから。
 でも「直結」はしていません。
 そこの部分を誤解させるような表現があったのなら,ご指摘いただけると嬉しかったのですが。まあ,あまり気にすることも無かったのかな。

 ところで,挙げていただいた文章のうち,二つ目はそれこそニセ科学と関係のないモノですね。

>私も言葉が不十分でしたが、「科学」にはいくつかの意味があります。

 良く分かりません。この意味の違いが,どのように影響するのでしょうか。
 SSFSさんのその後の文章と合わせると,それぞれの「科学」が互いに矛盾するとお考えのように読めるのですが。
 まあそれなら確かに限定せずに使うのは危険ですが,私はそれぞれの「科学」が相矛盾するとは考えておりません。どれかに誤謬が含まれているならともかく。

 言葉を厳密に使わなければいけない局面があることは当然ですけれど,今回はどの部分にそのような厳密性が必要と思われたのか,その言及が無いと,一般論としてしか解釈できなくて困ってしまいます。

>私が先に上げたのは、物事に接する際の「科学」する態度のこと。プロの学者が築き上げた一般的な知的成果としての「科学」もあります。前者はかなり普遍的ですが、後者に批判的だったり(宗教など)挑戦的だったり(水伝など)する考えがあります。

 宗教や「水伝」まで含んだ「科学」する態度とはいかなるものなのか,私にはちょっと想像つきません。もちろん,個別の宗教家などが科学的な態度を備えていることはあるのでしょうが,そんなことをおっしゃられているのではないのでしょう。
 それにしても,普遍的な意味でとらえた場合「科学」には宗教や「水伝」が含まれる,とお考えだとは,今初めて知りました。ちょっとビックリしています。

>あと、ニセ科学を論じるなら、比喩は差し控えたほうがいいでしょう。ふさわしくない比喩をすると、事柄の説明がますます混乱するだけですから。ニセ科学批判者の中には、実際に起きている現象を見ようとせず、下手な比喩で煙に巻こうとする人がいます。

 具体的に,どの点が相応しくなかったのかを教えていただけると良かったです。
 それと,「ニセ科学を論じるなら」と限定されていて,他のことなら比喩はかまわないと読めるのですが,なぜそのような限定がされているのかも分かりませんでした。


 過去にいただいたコメントと比べても,このエントリでのコメントはとても分かりづらいです。まあそれはともかく,本エントリがニセ科学やニセ科学批判と直結するものではない(関連はする)という点はご理解いただければ。

投稿: ハブハン | 2009年3月23日 (月) 21時23分

はじめまして。私が科学を支持する理由は、次の思いからです。
「不正確な情報を信じて、無駄な時間を過ごす愚は避けたい。不誠実な主張を繰り返す者に与する愚も、避けたい。」

科学素人の私は、正しい知識を得たいと考えています。
「その道の専門家を頼るのが、最も効率の良い学習方法だ。その際、複数の人の意見を比較すれば、さらに無難である。」

私は、ニセ科学批判の考え方に賛同しています。インチキな説に振り回される人が、少しでも減って欲しいと願っています。

ちなみに、ニセ科学批判を批判する方々の主張も、目にすることがあります。今は、こんな感想を持っています。「遊興ではなく、本気で批判を展開するのならば、自分に都合の良い解釈は捨て、堅実な指摘を読者に見せるべきである。」
他山の石として、私も心がけている次第です。

ハブハンさんの記事も、これからの私の思索の支柱と、させていただきます。それでは失礼します。

投稿: TAKA | 2009年3月31日 (火) 21時53分

 TAKAさんこんにちは。コメントありがとうございます。

>私が科学を支持する理由は、次の思いからです。
「不正確な情報を信じて、無駄な時間を過ごす愚は避けたい。不誠実な主張を繰り返す者に与する愚も、避けたい。」

 なるほど「無駄」と言うのは簡潔で要を得た表現ですね。個人は時間を無駄にし、家庭はお金を無駄にし、社会はリソースを無駄にし・・・
 私達を幸せにしてくれるはずのいろいろなモノが無駄になってしまうのは、とても残念なことです。
 科学とニセ科学とを峻別するための基準を示して下さっている方たちの活動は、本当にありがたいことだと思っています。

>ちなみに、ニセ科学批判を批判する方々の主張も、目にすることがあります。今は、こんな感想を持っています。「遊興ではなく、本気で批判を展開するのならば、自分に都合の良い解釈は捨て、堅実な指摘を読者に見せるべきである。」

 ニセ科学批判批判の方たちに対する私の感想は「ホントもったいない・・・」です(^-^; ニセ科学批判はいつだってより有効な方法を模索していて、批判批判の人が活躍できる舞台はちゃんと用意されているのに。
 多分彼らは目的がまったく違うんだろうな、と思います。でないと、今の批判の仕方が理解できないので。

>ハブハンさんの記事も、これからの私の思索の支柱と、させていただきます。

 過分な評価をいただき恐縮です。
 つたない内容とつたない文章ですが、いささかでもTAKAさんの思索に供する部分があったなら、とても嬉しく思います。

 私もまだまだ(というか一生)勉強中の身で、背伸びをしながら書いている部分もイッパイあります。多分変なことを書いちゃうこともあると思いますが、そんなときは容赦なくツっこんでやってください。

投稿: ハブハン | 2009年4月 1日 (水) 21時30分

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