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グレーゾーンのコトをもう少し考えてみた

 グレーゾーンについて以前ちょろっと書いたのですが、もう少し考えてみました。なぜ「グレーゾーンが無い(狭い)に越した事はない(※1)」のか,の説明です。
 当たり前な人には当たり前の話なのかも。でもそうじゃないかもしれないので,とにかく書いてみます。

<定義づけされ弁別されて、社会はうまく回っている>
 私達は認識し,判断し,行動する為に,モノゴトを定義づけし、弁別したいというニーズを持っています。
 「定義づけ」「弁別」なんて言うと堅苦しく聞こえるけれど、例えばスーパーに行って、並んでいる商品を見て「あれはトマト、あれはバナナ、あれはホウレンソウ」みたいな感じで、区別を付けられますよね。
 あるモノに対してそれがトマトか、トマトでないかを判断できるような基準を持っていることを「定義づけができている」、そして実際にあるモノに対して「それはトマトだ/トマトじゃない」という判断を下すことを「弁別する」と言っているだけのことで、私達は意識的にしろ無意識的にしろ、生活のなかで当たり前に定義づけ&弁別を駆使しています。かつその定義に共通了解があれば、それは社会の中で適正に機能するわけです。スーパーにトマトを買いに行ってトマトが買えるのは当たり前のようだけど、これってよくよく考えると,とてもスゴい事だし,とても大切な事です。
 これがうまく機能しないと困ったことが起こります。「トマト1個10円! 安い!」と思ってレジに持って行ったら「お客さん、それ、メロンですよ。メロンは1個3000円です」とか。・・・ちょっと例えが俗っぽすぎるかな(^-^;

<グレーゾーンって、結局なんなの?>
 ある定義に従って弁別しようとしたときに、うまく弁別できなかったり、間違った弁別をしてしまうモノ・状況の存在をグレーゾーンと呼びます。
 白黒はっきりつけようとしたのに、付けられない。だからグレー。グレーゾーンが発生する理由や状況はイロイロです(※2)が、おしなべて弁別という行為に伴って発生するものです。弁別しないのなら、グレーゾーンは発生しません。
 グレーゾーンはどの程度なら許容されるか,それは弁別のニーズの強さによります。よりはっきり弁別して扱いたいものは,許容されるグレーゾーンが狭くなる。当たり前ですね。

<中まとめ>
 要点、箇条書きにしてみます。

1.世の中には弁別のニーズがある。認識・判断・行動する上でそれが必要だから
2.弁別しようとしてできないのがグレーゾーン
3.グレーゾーンは無い・狭いに越したことはない(弁別したいというニーズが満たされなくなってしまうから)
4.弁別しようとしない(弁別のニーズがない)なら、グレーゾーンは発生しない(発生しても問題ではない)
5.弁別のニーズが強いモノでは,許容されるグレーゾーンは狭くなる

 ここまでは自明、だと思うのですがどうでしょう。他の考え方、あるのかなあ・・・まあ、私には思いつきませんので、自明として話を進めますw 以降はニセ科学に話を絞ります。

<ニセ科学の弁別のニーズはどこから生まれるのか>
 ニセ科学には、ニセ科学特有の問題があります。「もしそれが科学だったら問題ではないが、ニセ科学だから問題だ」「もしそれが未科学・非科学だったら問題ではないが、ニセ科学だから問題だ」というようなモノ。

 ニセ科学特有の問題についてはトップエントリにまとめてありますので、ここでは繰り返しませんが、それが弁別のニーズを作り出しています。
 そのニーズは、一般には「ニセ科学によって発生する不利益を回避する」際のニーズですし、ニセ科学の蔓延を防止しようとする立場では「ニセ科学を特定し、批判し,対応する」際のニーズとなります。他のグレーゾーンと同様に、科学(又は非科学、未科学)とニセ科学との間のグレーゾーンも、ないに越したことはありません。弁別に失敗することによって、不利益を被ったり,ニセ科学に対して有効な対応を取れなかったり、批判するべきでないモノを誤って批判してしまう可能性が生まれるからです。
 特に、批判はしばしば「攻撃」と受け取られがちであり、より慎重な対応が求められる活動です。明確な弁別のニーズはむしろ一般より強いと言えるでしょう。

<科学とニセ科学の間にグレーゾーンはあっても良い?>
 以上の事を踏まえて「科学とニセ科学の間のグレーゾーンはあっても構わない、又はあるべきだ」との主張を眺めると、以下のいずれかの意味で言われていると解釈できます。

1.ニセ科学は(たいした)問題ではない。
2.ニセ科学を問題にすることは別のより大きな問題を発生させる。

<ニセ科学はたいした問題じゃないのか>
 グレーゾーンは「弁別したい」というニーズを満たせない存在です。だから「弁別したい」と思っている人は「グレーゾーンがあっても構わない」とは言いません。
 白黒つける必要なんてない、と思っている人が「グレーゾーンがあったっていいじゃない」と言うんだろうと思います。
 「科学とニセ科学の間にグレーゾーンがあったっていいじゃない」と言う人も、自身が弁別のニーズを強く感じるコトについては、そうは言わないんじゃないでしょうか。例えば・・・

「安全な食品と危険な食品の間にグレーゾーンがあってもいいじゃない」
「安全なオモチャと危険なオモチャの間にグレーゾーンがあってもいいじゃない」
「建築基準を満足した住宅と欠陥住宅の間にグレーゾーンがあってもいいじゃない」

・・・もしかしたら言うのかな。そんな事ないですよね(^-^; (※3)
 でもニセ科学に対しては言ってしまえる。結局は「たいした問題じゃないんだから」というマクラことばが隠れているんだろうな、と思います。
 「たいした問題か、そうじゃないか」の判断にだってグレーゾーンはあるわけですが、ことニセ科学問題に関しては「たいした問題である」という共通認識が生まれて欲しいな(※4)。

 私はもちろん,ニセ科学はたいした問題だと思っています。「たいした問題じゃない」と言っている人の発言を聞いていると,(明言されている事はそんなにないけれど)どうも悪徳商法に騙された人の,個人的な損害だけを問題にしているように感じられます。「法律で取り締まればいい」「被害はたいした事ないじゃないか」なんていう発言を見ると特に。
 一方私には(そして多分他のかた達も)個人的な損害に加えて問題視している,他のポイントがあります(※5)。
 金銭的被害だってちっとも小さな問題だとは思わないけれど,それを措くとしてもなお,ニセ科学はたいした問題なのです。

<ニセ科学を問題にすることによる副作用は大きいのか>
 「プラセボ効果があるならいいじゃん」「それで生活している人もいる」などという主張とセットになっている場合は、「プラセボ効果を台無しにしてでも追求するべき問題じゃない」「ニセ科学で利益を得て生活している人を路頭に迷わせてまで追及するべき問題じゃない」ということなのかもしれません。
 もしそうなら、「私は追及するべき重要な問題だと考えている」と言うのが答えで,理由は上で書いた通りです。

 ってか、ニセ科学で得られるプラセボ効果は,イワシの頭で得られるプラセボ効果以上のものではないんだから、プラセボ効果が重要なんだったらイワシの頭を使えばいい。
 ニセ科学で生計を立てている人については、もしそれが自覚的であるのなら、私は全く斟酌する必要を感じませんし,そういう人がまっとうな会社の経営を圧迫している事を思えば,むしろ憤りさえ感じます。
 また,そういう文脈で出てくる「グレーゾーン」は,私が目にするものは「関係者が黒をグレーと言い張っている」ケースがほとんどです。

 もしホントにグレーゾーンで「本人が白と思っているにも関わらずニセ科学として批判され、生活を圧迫されている」のであれば、その人こそむしろ弁別のニーズをより強く持つべき立場と言えるでしょう。

 いずれにしても「グレーゾーンは慎重に扱うべきだ」という主張の根拠にはなりえても、「グレーゾーンはあってよい/あるべきだ」という主張にはつながりません。

<終わりに>
 途中から「ニセ科学は問題だ」にすり替わってしまいましたが(^-^; これは私が「たいした問題じゃない」以外に,グレーゾーンを許容する主張の根拠を見つけられていないからです。
 他になんかあるのかなあ。あるなら,それを知りたいですね。
 少なくとも「言わぬが花」的な,アイマイさを美徳とする日本人的な感覚から反射的に出てくる主張,ではないといいなあ・・・

<注釈>
※1
 「無いに越した事はない」は「ムリにでも無くしてしまえ」「無視してしまえ」と言う意味ではありません。明確な線引きでなくせる/小さくできるならベストですが,それが無理なら,グレーゾーンはむしろしっかりと認識し,慎重に取り扱う事が大事。

※2
 グレーゾーンが生まれる理由は、こんな感じでしょうか。
(1)定義の不備
(2)定義があいまい
(3)弁別に必要な情報の不足
(4)定義の妥当性に対する人々の判断の違い

 また、「グレーゾーン」と表現される状態にも、少なくとも二種類は考えられそうです。

(1)判断が下せない状態
(2)「黒」と判断する人と「白」と判断する人が混在している状態

 元々区別のない所をエイヤでひっくるめるのが定義づけですから、どんな定義にしても弁別しきれないものは発生します。あるモノを弁別できるように定義を直すと、別のものがこぼれたりとか。

※3
 書いた後で気づいたけど,ここで挙げた例って,ニセ科学の蔓延によって脅かされるものばかり。ニセ科学のグレーゾーンを許容する人は,これらも許容するならスジが通ります。

※4
 科学の発達によってもたらされる恩恵を高く評価している人は「たいした問題だ」という判断に至ると思います。
 なのに、現代社会で暮らし、文明を享受している人の中から「たいした問題じゃない」という意見がしばしば出てくるのは不思議です。私がその意見を目にするという事は,そういう人たちは少なくともパソコンは活用しているはずなのですが・・・

※5
 ナニを重要なポイントと考えるかは,人によって違います。
 私の場合は,以下の3点を重要な問題だと思っています(まあ,互いに関連しているんですけど)。

(1)科学の信頼を損なう(不信感を増長させる)こと
(2)常識として定着する事によって,次のニセ科学(あるいはもっと悪いもの)を呼び込むこと
(3)教育の現場に入り込み,子どもに刷り込まれること

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タイトルは「やってみたかった」だけです。 ハブハンさんのグレーゾーンのコトをもう少し考えてみたと云うエントリを読んでちょっと感じたこと。どうやらぼくとハブハンさんのあいだでグレーゾーンと云うものに対する理解のしかたが違うようなので、エントリ内でハブハンさんがめぐらせている考察とストレートに噛み合う内容ではないけれど(だから、たぶんここでぼくが書いたことがハブハンさんのお書きになったことと食い違うように見えても、それは実際には主張のぶつかり合いではないんだと思う)。 ... [続きを読む]

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