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善意と正しさとは無関係

 アタリマエの総論をどこまで書いておくべきか、多少迷いもあるんですが、まあ一度は明確にしておいた方が良いだろうと思って書きます。
 今日のお題は善意と正しさの関係についてです(それらは全く無関係ということ)。

 代替医療を例に話を進めます。一番身近だと思うので。でも、普遍的に成り立つお話です。
 このエントリ内では「現代医療」及び「代替医療」という用語を、以下のような意味合いで用います。

現代医療:正規の医療行為として認められているもの
代替医療:正規の医療行為として認められていないが治療目的で利用されるもの

 私の座右の銘は「地獄への道は善意で舗装されている」です。
 有名な言葉ですから知っている人も多いと思いますが,ざっくり言うと善意の行動が悪い結果に結びつく場合もある、というコト。

 以前書いた例だけど、もっかい書きます。

 Aさんが病気にかかりました。Aさんは現代医療を拒否し、代替医療を試しました。Aさんは数ヵ月の闘病生活の末に回復し、今では元気に生活を送っています。
 Bさんが同じ病気にかかりました。AさんはBさんに代替医療を勧めました。Bさんは現代医療を拒否し、代替医療を試しました。Bさんは数ヵ月の闘病生活の末にお亡くなりになりました。

 このケースで、考えられる可能性は4つあります。

<可能性1>
 代替医療には現代医療を越える効果があった。Aさんはもし現代医療を受けていたら亡くなっていたが、代替医療を選択したために助かった。
 より症状の重いBさんは亡くなってしまったが、普通ならすぐに亡くなるところ、数ヶ月を生き延びることができた。

<可能性2>
 現代医療と代替医療は同程度の効果があった。Aさんはどちらの治療を受けていても助かった。Bさんは現代医療を受けていても結局は亡くなっていた。

<可能性3>
 代替医療には効果はなかった。Aさんは結果的には回復したが、現代医療を受けていたらもっと短い時間で、症状も軽く回復していた。Bさんは現代医療を受けていたら助かっていたが、代替医療を選択したために亡くなってしまった。

<可能性4>
 代替医療には悪影響があった。Aさんは結果的に回復したが、ただ寝ていればもっと短い時間で回復していた。Bさんは何もしなければ助かったのに、代替医療を受けたために亡くなってしまった。

 この例で読み取って欲しいのは、代替医療に全く効果がなくても、あるいは悪影響があってすら、病状が回復する人間はいるんだ、という事です。
 「Aさんが代替医療を試したら回復した」という事実は、代替医療の効果をなんら保証しないのです(※1)。

 例えば,ガンなどは一昔前は不治の病でしたし、今でも(今だから?)日本人の死亡原因の大きな割合を占めています(※2)。「ガンは治療できる病気だ」と言われるようになって久しいですが,「ガン」=「死の病」というイメージも根強く残っています。
 現代医療でも克服の難しい病気だという認識があると、一縷の望みを託して親しい友人や家族に代替医療を勧める、その気持ちは分からないでもありません。

 でも待って。

 もしかして,親しい友人が亡くなるコトを見越して「私は彼(彼女)のために、できる限りのことをしてあげたんだと思いたい」という気持ちがどこかにありませんか? 「『もっとしてあげられる事が有ったのではないか』という後悔を味わいたくない」という気持ち。(※3)
 きちんと現代医療に専念していれば10年間は生きながらえるはずだった人が、代替医療で寿命を縮め、1年で亡くなった。その人のお葬式で、代替医療を勧めた当人が「自分は彼(彼女)のために、できる限りのことをしてあげたんだ」と自分を慰めている・・・
 こういったコトが実際に起こっているかもしれない。そのグロテスクな想像が私のココロを薄ら寒くします。
 マト外れな想像、なら良いのです。でも、ホメオパシーによる医療ネグレクトの例(※4)などを目の当たりにすると、その延長線上にある私の想像が、荒唐無稽と思えなくなってしまいます。

 善意と正しさは別々にあるモノです。「善意で行われたコトなら正しいコトだ」とはなりません。
 実生活を振り返ってみると、私の周りにいる人たちは、みんないい人たちばかりです。「世の中で行われていることの9割は善意から行われているコトだ」と、掛け値なく感じます(※5)。でも残念ながら、「世の中で行われていることの9割は正しいコトだ」とは言えません。その差分は「善意で行われているにも関わらず、正しくないコト」なのです(※6)。

 自分の善意を疑う必要はありません。でも、自分の正しさについては常に疑うべき(※7)。
 私はそう考えています。
 自分の善意から出た行動が他人を不幸にする。それって、とても悲しいことだと思います。

<注釈>
※1
 っと、急いで付け加えますが「Bさんが代替医療を試したら死亡した」という事実から、代替医療の有害性を決め付けることもできません(タミフルの問題などではこの種の錯誤が見られましたね)。
 ただし,そもそも有効性が確認できてないのに、はたして有害性が充分に確かめられているのか、という点は疑問を感じるトコロではあります。

※2
 日本が癌大国になった理由については、NATROMの日記様の以下のエントリを読んで,とっても勉強になりました。
 どうして日本は癌大国になってしまったのか?

※3
 実のところ、医療の分野に関してシロートが何かできることって、ほとんど残されていません。でも、病気にならないための健康的な日常生活を送ること、そして病気になったときのメンタルケアの面では、まだまだ出来ることがたくさんあると思うし,代替医療がそれに寄与する場合もあるでしょう。

 効果がある可能性が否定されておらず、かつ悪影響の無い事がシッカリと確認されている代替医療であれば、なおかつ本人が望むのであれば、選択肢になり得るのではないでしょうか。ただしそれを認めるための最低限の前提は、現代医療を拒否しないことです。

※4
 忘却からの帰還様のエントリ
 自分の生後9か月の娘を死なせたホメオパシー医

※5
 こんな風に感じられる私はむっちゃ幸せだと思います。ナイーブすぎると思われるかも知れませんが(^-^;
 こういうエントリを書いていると誤解されそうなのですが、私は善意って、かけがえのない尊いものだと思っています。
 でも、その尊いものをドブに捨てることもできてしまうわけで。

※6
 正確にはチョット違います。「悪意で行われる正しいこと」で相殺されている分が有りますから。

※7
 このエントリでは「正しい」という言葉を、なんでも当てはまるように浅く広く使っています。でもホントは、ナニが正しくてナニが正しくないのかの判断はすごく難しいコト。部分最適解と全体最適解がしばしば真逆(まぎゃく)になってしまうように、適用範囲を外れた「正しい」はたちまち正しさを失ってしまいます。

 普遍的な正しさを手に入れたい気持ちが「善意なら正しい、としてしまおう」と思ってしまうコトに繋がっているのかも。でも、本来とても判断の難しいことを、超お手軽に判断してしまうのは、気持ちはいいかもしれないけれど、それで自己満足以外のモノを得るのは難しいです。

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