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代替医療と近代以前の医療を区別する一線はない

 現代医療はもちろん、完璧なモノではありません。

 ヒトの願いを突き詰めていくと最終的には不老不死に繋がりますから、そもそも完璧な医療など実現できないモノなのかもしれませんが、もっと卑近なレベルで考えても、医療には錯誤が含まれ得ます。今有効だと思っている治療法が実は全然有効でなかったり、ただの迷信として切り捨てた民間療法が実はとても有用なモノだったり。

 「現代医療は完璧だ」などと主張するヒトはほとんどいないでしょうし、私はひとりも見たことがありませんし、私自身も主張しません。
 でも、「現代医療は代替医療などと比較して、有効だと見なされている治療法が実際に有効である可能性が高い。また、今後更にその有効性を増していける可能性が高い」ということは、強く主張しておきたいと思います。

 現代医療も間違う可能性はある。代替医療も間違う可能性はある。でもその確率には差があります。その差は、現代医療と代替医療を区別する一線によってもたらされています。
 一方で、代替医療と近代以前の医療とを区別する一線はない、そんなお話です。

 なお,当エントリ内の用語の使い方は,前回のエントリに準じます。

<現代医療と代替医療の間の一線>
 現代医療と代替医療を分ける一線はナニかと言えば,これはもう極めて明確で、充分なエビデンス(証拠)(※1)が存在しているかどうかです。

 代替医療の中には、実際に有効なモノも含まれているでしょう(漢方薬なども昔はそのような位置づけだったのだろうと思います)。
 その有効性を証明しようとする試みは、現代医療の有効性を証明する手順を踏んで行われます。ポジティブな結果が得られれば,それは有効性を示すエビデンスとして扱われます。エビデンスが充分に詰まれた医療は、正当な医療として認められ,現代医療の枠組みに組み込まれていきます(一部の漢方薬が保険適用になったのは,昭和42年)。

「エビデンスが充分得られているモノは現代医療。エビデンスが無いか、不十分なモノは代替医療」

 当然この一線にもグレーゾーンはありますから、エビデンスが充分かどうかで意見が分かれるモノ、有効だと言うエビデンスと無効だと言うエビデンスの両方があって喧々囂々議論が続いているもの、なども有るでしょう。
 でも少なくとも理屈としては、有効性を計るための物差しも、目指すべき到達点も明確にされていて、それらに従って有効と認められた(それだけのエビデンスがそろえられた)モノが現代医療を構成しています。

 前述の通り、代替医療の中には見込みがあるモノも勿論あるでしょう。でも、おまじないとなんら変わらないモノ、悪影響すら与えかねないモノも含まれていて、私達にはそれらを見分けることができません。どちらもエビデンスが無い(不充分だ)から(※2)。

「そんなコト言ったって、これで治った人がイッパイいるんだよ! 私自身も実感している。確かに効果はあるんだ!」

 うーん・・・

 そうですねえ、近代以前にどのような医療行為が行われていたかを知ると、考えるきっかけになるかもしれません。

<代替医療と近代以前の医療の間の一線>
 「エピソード魔法の歴史(現代教養文庫,ゲリー・ジェニングズ)」p.125には、以下の様な記述があります。

 中世の薬局の棚には,よくはいた靴の底皮をすり砕いたもの,ハエの糞,ウスネアとよばれる物質(じつは絞首刑にされた犯罪者の頭蓋骨にはえたコケをこすりとったもの),狂犬が口からふいた泡,そのほかそれ以上にも言語道断なしろものがストックされていた。

 また同書のp.130には,狂犬病の治療薬として以下の処方が載っています。

 十九世紀という最近になって,しかもアメリカはニューヨーク州の「シャープで抜け目のない」ヤンキーでさえ,希少で異常なものには迷信的な信頼を示した。千八百六年にニューヨーク州議会は,ジョン・M・クラウスという男が「狂犬病の一治療法」を発見した功績に対して一千ドルの賞金をさずけることを票決した。議員達が,「二十年以上前から狂犬病の治療に」その調剤を使って成功してきたというクラウスのことばを真に受けたことはまちがいない。この賞金を獲得したくすりの成分は,イヌのあご骨を粉末にしたもの,生まれたばかりの子馬の「偽舌」をすりつぶしたもの,それから,これがいちばんバカげているが,「ジョージ一世の時代のイギリスの一ペニー貨についた緑青をこそげおとしたもの」というしろものだった。

 続いて「看護・医療の歴史(誠信書店,J.A.ドラン)」p.134より

 この時期に与えられた医学的治療は,一六八五年に,シャルルII世に施された治療を考えてみるとよくわかる。
 一パイントの血液が右腕から取り除かれ,次に肩から八オンスが,続いて吐剤一服と下剤二服,それに一五の物質を含む灌腸剤が与えられた。それから頭を剃り,頭蓋に発泡剤を盛り上げ,脳を浄化するためにくしゃみの出る粉が与えられ,さらにそれを強化するために,きばなのくりんざくらの粉が与えられた。とかくするうちにさらに吐剤,緩和する為の飲料そしてなお放血が続けられ,それに続いて松脂の膏薬,鳩の糞が王の足にあてがわれた。
 次の様な物質が内服された。メロンの種子,内樹皮(※)・黒いさくらんぼの水・谷のゆりの煎じ汁・芍薬・芳香のある植物(ラベンダー)・酢の中に溶かした西洋梨・竜胆の根・肉荳蔲,そして最後に人間の頭蓋のエキス40滴,最後の手段として胃石(※※)が用いられた。しかし王は死去してしまった。

※  楡の粘液性のある樹皮。鎮痛剤。
※※ 特に反芻動物の胃腸に出来る結石で,解毒剤とされた。

 ちなみに1パイントは0.5kg前後(ヨーロッパだから0.57kgでいいのかな)。1オンスは約28.35g。

 引用中にも「言語道断」「バカげた」などという表現が見られますが、実際これらの処方や医療行為の大半の部分は、現代の私達から見ると何の意味もない、あるいはむしろ有害なモノに見えます。「脳を浄化するためにくしゃみ」て。
 「バカだなあ」とか「昔は恐ろしいコトを平気でしていたんだなあ」とか、思いますか? でも、当時はこれが正しい医療と信じられていたのです。
 さあ、タイムマシンで当時の人たちに忠告してあげましょう。でも多分、返ってくるのはこんな返事。

「オレたちのやり方で、確かによくなった人がいるんだ!」
「オレは効果を確かに感じているんだ! オレは自分の感覚を信じる」
「オマエたちの医療は万能なのか。実はオレ達のほうが正しいんじゃないか」
「オマエは自分が不当に利益を得ようとしてそんなウソをついているんだろう」

 ・・・代替医療と近代以前の医療を区別する一線、なにかあるでしょうか?

<終わりに>
 代替医療については患者本人の強い希望がある場合が多いでしょうし、病状の深刻さに合わせて適宜運用することに反対はしませんが、現代医療よりも更に厳密な管理をすること、そして現代医療を優先することが必要であろうと思います。
 このエントリは,見込みが充分にあり,かつ地道にエビデンスを積み上げている一部の代替医療に対して、やや厳しい書き方になっています。
 でもね。
 充分に検証されていない段階で,自浄の仕組みが働かないところで利用されるモノなんだから,代替医療に関わる人は,私なんかよりも更に厳しい態度で,自らを律するべきではないでしょうか。

<2009年09月18日 追記>
 あらら,なぜかこのエントリにアクセスが。インターネットの仕組みはよく分かりません(^-^; タイトル,ですかねえ。
 コメント欄でもTAKESANさんにご指摘いただいて気がついたのですが,私の用語の捉え方,それに基づいた話の展開のしかたにブレがあったようです。ぜひコメント欄も併せてご覧下さい。

 いくつかブクマコメに応答します。

>steel_eelさん
>正規の医療より低いけど効果はきちんとあって安価で素人でもできる治療法。みたいなのは存在しないのかな。

 もちろん,あると思います。総合感冒薬などは正にそういった位置づけではないでしょうか。私のエントリの用語法に基づいて判断すると,それは「代替医療」ではなく,「エビデンスは充分だが,重篤な傷病に対しては適用されない現代(正統)医療」という事になります。・・・う,素人が行う治療を「医療」と呼ぶと,また用語の混乱が(^-^;

>pn-go pn-go さん
>臨床、治験などを経てエビデンスを高めようとする姿勢を持つものが医療、そうでないものが代替医療だと思っている。エビデンスが実際に積み上がっているかどうかではなく。

 エビデンスを積み上げている最中の治療行為が,デザインされた臨床試験の範囲を越えて一般に適用されるようであれば,私はそれは代替医療であると認識しますが,この辺りに考え方の違いがあるのかも知れませんね。どちらがより一般的なのか,ちょっと分からなくなってきました。
 んー,「現代(正統)医療」と「代替医療」という二つの言葉で全ての医療を切り分けようとすると,誤差が大きくなるのかなあ。科学になぞらえて「医療」「非医療」「未医療」「ニセ医療」ぐらいにした方がいいのかも。ちょっとゴロが悪いですがw

 他の皆さんも,コメント有り難うございました。

<追記終わり> 

<注釈>
※1
 「充分なエビデンス」という表現は,以下の三つの意味を含んでいます。
(1)科学的に妥当な手段を用いて試験され,妥当な結論が導かれていること
(2)多くの試験が等しく効果を示していること
(3)主張を反証する結果が得られていない事

 一部の代替医療では,エビデンスが充分に積み上がっているかのような表現がされている場合もありますが,中身を見てみると,大量の体験談だったり,再現性のないやり方だったり,ネガティブなデータを無視して良い結果だけを選んでいたり・・・

※2
 多分「確信」は掃いて捨てるほどあるんでしょうけれど、「確信」は「確証」の代わりにはなりません。
 また、科学的手順によらずに「確証」を得る方法を、人類は見つけていません。

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コメント

今晩は。

「現代医療」という言葉は、「医療」に「正統的な」とか「標準的な」といった意味が含意されているでしょうから、今の文脈ですと、「現代において正統的とされている医療」とでもなろうかと思います。

それで、今正統的なものとされているものとそれ以外のもの(代替医療)を分ける基準としてエビデンスベイストな観点を持ってくるとするならば、正統医療(ここでの現代医療)≒エビデンスベイストな医療 となる訳ですよね。

で、それを前提として、今度は逆に、現在正統とされる医療は一般にエビデンスが充分確認されているものなのか、と考えると、必ずしもそうは言えないかも知れません。心理臨床などでは、そこら辺の議論は現在も盛んであろうと思います(日本と他国の傾向の違いもあるでしょう)。
エビデンスベイストという考え方は、60年くらい前にアイゼンクなどの批判を契機として整備されたものと見ていいと思いますが(効果研究等)、それまでに伝統的に用いられていたものが現在も根強くスタンダードとして残っているのはあるだろうと考えられます。

従って、現代医療とそれに対する概念としての代替医療、それを、「現在のありかた」として設定するならば、エビデンスベイストか否かを分類の基準として用いるのは、必ずしも適切では無いように考えます。どちらかと言えば、医療はエビデンスベイストなものを指向すべき、という理念として捉え、そして実際そういう方向に進んでいる、と見るのが良いのではないかな、と。

そういう観点だと、エビデンスが充分で無いものは正統的な医療として認めない、充分で無いのにスタンダードとして用いられているものは医療からは はすしていく、という見方が出来ると思います。

それから、「エビデンス」についてですが、医学にはエビデンスレベルというものがあるので、それを紹介するのも解りやすくて良いかも知れませんね。
たとえば⇒http://www.jsh.or.jp/medical/liver/level%20classification.htm

投稿: TAKESAN | 2009年9月15日 (火) 23時44分

TAKESANさん,こんにちは。

 「医療」と表現しながら、自分の頭の中ではかなり限定された対象を想定していたことに今気付きました(汗) ご指摘ありがとうございます。
 と言うか、精神疾患に対する医療行為などについては、投薬による治療を除いては、現代医療(正統医療)/代替医療の概念が適用できるという認識自体がなかったりして(^-^;

 私のエントリでの「現代医療」は、「正統医療」というよりは「正当医療」のニュアンスで使っていますね。と言うか、混ざっちゃってますね。最初に「現代医療も完璧ではない」などと言っておきながら、後段では「正しい」を前提にしてしまっているかも。

 エビデンスは,何をエビデンスとして採用するか,という判断基準の面でも変化(進歩)が継続しているものだろうと思います。そういった意味では,TAKESANさんが仰られる様な,伝統が尾を引く状態というのは,多分常態としてあるんでしょうね。まあこれは,全ての分野で言える事でしょうが。

>それから、「エビデンス」についてですが、医学にはエビデンスレベルというものがあるので、それを紹介するのも解りやすくて良いかも知れませんね。
>たとえば⇒http://www.jsh.or.jp/medical/liver/level%20classification.htm

 ゔ,これ見たことある!! ってか、私が持ってる本にもおんなじ様なのがあるじゃんっ!
 確かにこれは紹介しておいた方が分かりやすかったですね。

 んむむ、抜けが多いなぁ。私,ちょっと視野が狭くなっていますかね。気をつけないと。

 ご教示,有り難うございました。

投稿: ハブハン | 2009年9月16日 (水) 19時43分

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