個人の選択と社会の選択
ニセ科学を批判することの意味については何回も書いたような気がするけれど,手を替え品を替えて繰り返してみます(※1)。
私たちは社会を形成し,生活を営んでいます。
この事に大きなメリットがある事は,生活を見渡してみれば瞭然です。
電気,水道,ガスなどのライフライン,衣食住,交通網,福祉,etc,etc...私たちの身の回りは,自分一人では手に入らないモノばかり。あなたが今使っているはずのPCや携帯電話だって,イチから自作できる人はいませんよね(パーツからなら組み上げられる人は多いかも知れませんけど)。
ヒトは社会を形成し,負担を分かち合う事によって,一人で生きていくよりもはるかに豊かで安全な生活を手に入れています。
原則として,社会は人びとが抱く望みの最大公約数を目指します。みんなが望むから,それが実行される。まあ,例外も多々あるけれど(^-^;
一人ひとりに別々の社会を提供できるわけではないから,個人にとってベストな社会ではないかもしれません。でもなるべくたくさんの人にとって,なるべくベストに近い社会ではある,少なくともそれを目指してはいるわけです。
別に公共事業の事だけ言ってるんじゃなくて,私企業の活動だって同じです。みんなが代価を払ってでも望むからこそ,サービスが提供されます。
みんなが犯罪の無い社会を望むから警察があり,みんなが健康や長生きを望むから病院があり,みんながおいしいラーメンを望むからたくさんラーメン屋があります。
そして,みんながニセ科学を望むから,ニセ科学が蔓延します。
ホメオパシー,活性水,その他様々なニセ科学を選択する個人を前にしては,その自由を尊重します(※2)。
でも,私がニセ科学の蔓延していない社会を望んでいる以上,私はニセ科学に対してはっきりとNOを表明しますし,社会に対してアピールしていきますし,ニセ科学批判の活動をなさっているかた達を支持します。
個人の自由を尊重しつつ社会的には批判し反対していく。両者は矛盾しないし両立するという事,分かって欲しいです。
そして,ニセ科学が蔓延する社会を望んでいるのでない限り,「ニセ科学はあって良い」「たいした問題ではない」などと言ったり,ニセ科学批判の活動を,ニセ科学批判者の感情の問題に帰結させるようなコトを言ったりするコトには,慎重であって欲しいのです。
<注釈>
※1
このエントリはかなり単純化して書いていますので,トップエントリなども併せて読んでいただけると嬉しいです。
※2
これも,個人の自由が尊重される社会を望んでいるからです。
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