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「騙し」が保証してくれるモノ

<poohさんのエントリ>
Chromeplated Rat_呪術と背景
<ハブハンの前回のエントリ>
ホメオパシーは非科学たりうるのか

 前回のエントリにpoohさんからコメントを頂きました(ありがとうございます)。
 poohさんのエントリと頂いたコメントを元にいろいろ考えていたらちょっと長くなってしまったので,別エントリとして書きます。

 思いつき100%の内容になってしまっていますが、ご容赦ください。呪術を学問的な角度から検討なさっているかた達から見ると噴飯もののエントリになってしまっているかも知れません。重ねて申し訳ありません。

 私が最近ちょっと考えているのは、「ニセ科学から『騙し』を抜いたら、ナニか残るモノはあるんだろうか」ということです。ナニか、と言うのは例えばプラセボ効果ですけれど、「レメディはただの砂糖玉」であり、科学的な裏づけが一片たりとも無い事を十全に説明し、患者が完全に理解した状態では、ホメオパシーでプラセボ効果を得ることは無理でしょう。「これはプラセボなんだから、プラセボ効果が得られるに違いない!」といったメタ・プラセボ効果は考えられますけど(笑)

 「呪術」と表現した場合、その適用範囲はちょっと広くて、プラセボ効果(の利用)などはその中に包含される形になるのかな、と思います。呪術と言うと「非科学」の代表みたいに感じてしまうけれど,科学的に実証された処方も,患者の医師に対する信頼感の様なものも全てひっくるめて,全体で呪術が構成されているんでしょうね。

 その意味で,呪術と言うククりでなら「騙し」を含まないモノは十分想定できて、ホメオパスの中にも「騙し」以外の部分で呪術を行使できている人はいるのでしょう。
 じゃあ、そういったホメオパスなら「レメディは砂糖玉」で勝負できるのかと言うと、やっぱりできないような気がしますね。騙しはタネを明かした時点で、他の呪術的要素を全てご破算にしてしまうのではないかと。
 ハナから「騙し」を除いて呪術を構成すればいいじゃん,とも思うのですが,今度は受け手側にそれを許さない部分があるのが現代日本の社会なのかも知れません。なんと言うか,医師の「いたいのいたいのとんでけ」に保証を求める風潮(※1)。元々保証しようのないモノを保証する(ように見える)のが「騙し」の部分なのかな,と。
 日本とフランスのホメオパシーの様態が違っていたとして,もちろん送り手の違いはあるんでしょうけれど,それと同じくらい受け手の違いがあると感じています。広く言えば文化の範疇ですが,狭く言えば人びとの心性の部分かな。
 少なくとも今の日本の,少なくともニセ科学を受け入れる素地を持つ人の間では,科学による保証,あるいはニセ科学による保証に見えるモノを抜きにして,呪術は成立し得ないのではないだろうか。
  ↑
 ここのトコロが、私が前回のエントリで漠然と書いた部分なのですが、まだ全体を鳥瞰した説明の筋道はつけられていません。
 送り手側と受け手側のインタラクションと言う視点で、呪術のメカニズムに絡めてうまく表現できそうな気もするのですけど。

 poohさんにコメント欄で「呪術」抜きで分かり易く書いていただいたのに,「呪術」に戻してしまいましたw スミマセン。
 次はもうちょっとしっかり書けるようになってから,書きます。

<注釈>
※1
 poohさんはコメント内で「医者の『いたいのいたいのとんでけ』を非難するひとはいない」と仰っていて,基本はその通りかな,とも思うのですが,例えばその後,副作用が発生してこどもが亡く なってしまった時に,後付けで責める人がいないかとなると,実は私,あまり確信が無いのです。人間不信すぎるかな(^-^;

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コメント

フランスと云う社会においては、医師がレメディを用いることは、その意味で「騙すこと」にはあたらない、と云う云い方もできるのかもしれませんね。

ちょっと話は変わってしまうかもしれないんですけど。
結局のところ医師にとっても患者にとっても、重要なのは容態をよくすること、なんですよね。なのでその目的に沿って、医師は自分の責任でとりうる手段を(自然科学的なものもそうでないものも)選んで、患者にほどこすわけです。
ただこれは、結果オーライと云うわけにはいかなくて。医師にはその手段を選んだことに対する責任が生じるので、適切じゃない選択にもとづくよくない結果については医師が責めを負う。ホメオパシーが医療として認められている国でも、たぶんこれは同じです。

通常医療が自然科学を根本においているのは、それが実効性・コスト面含めもっとも適切な選択肢を提供するからです(しくみ上それが可能)。医師には治癒と云う結果を出す責任がある以上、この部分は変わらない。

そのうえで、社会的にその他の手法を採用することがどれだけ認められているか、と云うことも関連してきます。フランスであろうと、通常医療による施療が必要な患者を相手にホメオパシーのみで対処して、望ましくない結果に至った場合には、医師はその責めを負うことになるはずです。とるべき手段を誤ったわけですから。

逆に、医療手段の選択を患者の自己責任にまかせてしまえれば、施療者にとってはこんなに楽なことはないわけですよね。責任をとらなくてもいいわけなので。
日本においてホメオパシーを支持する立場のひとたちは、おおむねこの位置にいます(責任をとらなくてもいいから、自然科学に準拠する必要も感じない)。これはきわめて危険だと思います。

投稿: pooh | 2009年11月14日 (土) 07時07分

poohさん,こんにちは。

 フランスのホメオパシーも突き詰めて考えちゃうと「騙し」になる,その要素を現時点で含んでいるのでしょうけれど,そこが突き詰められるほどの強いニーズが存在せず,供給側も先鋭化しないのかも知れません。
 医療制度が変わったり,他の国からホメオパシーが逆輸入されたりした時に改めて,潜在している問題点が浮かび上がってくる可能性はありますね。問題視する必要はないけれど,注視する必要は有り,といったところでしょうか。

 最終的にプラセボ効果を期待し利用するにしても,それを選択する医師は「レメディは砂糖玉」が基本となるべきで,フランスの医大での教え方次第で私の評価は変わりそうです。かつ「砂糖玉」と同じコストで提供されているのであれば,フランスの文化の中では許容される素地が有るのかも。

>逆に、医療手段の選択を患者の自己責任にまかせてしまえれば、施療者にとってはこんなに楽なことはないわけですよね。責任をとらなくてもいいわけなので。
>日本においてホメオパシーを支持する立場のひとたちは、おおむねこの位置にいます(責任をとらなくてもいいから、自然科学に準拠する必要も感じない)。これはきわめて危険だと思います。

 一部の団体,一部の人の,インフルエンザを巡る言動などを見ていると,選択の間違いから発生する責任なんて,いや,選択の間違いという概念自体,もうアタマの片隅にも無いように見えます。有るのは,
 【ホメオパシーを選択する事が最善だ】←【なぜならホメオパシーは最善の選択だからだ】
というトートロジーのみ。

 少なくとも日本のホメオパシーに対する私の評価基準は,医療に対するそれではなく宗教に対するモノへとシフトしています。
 だから,最大限好意的な評価は「非科学」で,前回のエントリの表題へとつながっているわけですけど。

投稿: ハブハン | 2009年11月14日 (土) 11時23分

> 最終的にプラセボ効果を期待し利用するにしても,それを選択する医師は「レメディは砂糖玉」が基本となるべきで,フランスの医大での教え方次第で私の評価は変わりそうです。かつ「砂糖玉」と同じコストで提供されているのであれば,フランスの文化の中では許容される素地が有るのかも。

この部分、ぼくもまったくおんなじ考えです。
そしてそれが、ホメオパシーが通常医療と並行して代替医療の手法として生き残ることが許容される最低限の条件だと考えます。

その意味で、現在の日本におけるホメオパシー業者の活動方法はすべて誤りであり、危険なものだと判断します。まぁこれは、そもそも現代の日本にホメオパシーを持ち込む、と云う無理筋に起因するものだと思いますが。

投稿: pooh | 2009年11月14日 (土) 17時43分

>その意味で、現在の日本におけるホメオパシー業者の活動方法はすべて誤りであり、危険なものだと判断します。まぁこれは、そもそも現代の日本にホメオパシーを持ち込む、と云う無理筋に起因するものだと思いますが。

 実はこの一週間ほど,「騙し」の要素を含まない,でもプラセボ効果は得られる現代版イワシの頭が作れないかと思っていろいろ考えていたんですが,どうこねくり回してもネタにしかなりませんでした(^-^;

 完全な科学なのにニセ科学のように見える,そしてニセ科学よりも魅力的な「ニセ・ニセ科学」って,作れないもんでしょうかねえ。みんながそういうモノにハマってくれれば安心なんですけど。

投稿: ハブハン | 2009年11月14日 (土) 20時37分

「説明できないけど、本当なんです、治るんです!」

かつて「手かざし」を売りにする
某宗教団体の皆さんが口々にこう言っていました。
私を信者とせんがために(笑)

で、事実としては治ってましたな。
原因不明で治療方法がわからんと言われた症状が。

で、私は信者にはなりませんでしたが(笑)

別件。

私の友人に霊が見える人がいます。
見たくて見てるわけではないので
本人も戸惑うことのほうが多いし、
話を聞いてると自分は見えなくてよかったなと思うが
彼によれば死後の世界はあるようで・・・。


ある?ない?

ないならどうでもいいんですが
あるならそれがどういう世界なのか
ぜひ知りたいなあ。

非でも未でもニセでも・・・
科学でなくてもなんでもいいんですが

説明がつきさえすれば
とりあえず安心できるものね(笑)

投稿: boow | 2009年11月23日 (月) 03時57分

boowさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

 手かざしは、実は一回やってもらったことがあります。なんとなく逃げるタイミングを逸してしまって(^-^;

「何か、光のようなものが見えてきませんか?」
「いえ、特にナニも」
「ポーっと明るいような・・・」
「見えません」
「温かい感じがしませんか?」
「しません」

 てな感じで終わっちゃいました。だってホントに見えなかったんだもん。でも長時間目を閉じてジッとしていたら、そんな錯覚を感じてもおかしくない、とは思いました。言葉で誘導されてたし。

>で、事実としては治ってましたな。
>原因不明で治療方法がわからんと言われた症状が。

 なかなか今の医療で全ての症状が・・・とはいかないものですねえ。治ったのは良かったですね。

>私の友人に霊が見える人がいます。
(中略)
>彼によれば死後の世界はあるようで・・・。

 うーん、私は幽霊も死後の世界もあるかも知れないなあ、と思ってはいるのですが、(ご友人には申し訳ないですけど)そういう話を聞いてしまうと、キモチ的にはむしろ否定の方に動いてしまいます。
 とりあえず浮かんでくる疑問としては、

(1)ナニかを見た時に、なぜそれを「霊である」と判断できるのか
(2)実際に霊がいるとして、そこからなぜ「死後の世界はある」と言えるのか

 おそらくご友人は、ご自身が見ているモノが錯覚ではなく、キツネに化かされてるんでもなく、催眠術師に幻惑されてるんでもなく、スタンド使いの攻撃でもなく、霊であることを確信なさっているのでしょう。
 その確信こそ、思い込みの表れであるコトの証左ではないのか、などと感じてしまうのです。
 私にも霊が見えたら、確信の根拠となるナニかが理解できるのかも知れませんが、残念ながら見えないヒトなので。

>ないならどうでもいいんですが
>あるならそれがどういう世界なのか
>ぜひ知りたいなあ。

 同感です。幽霊も一度は見てみたい。でも一度見ると、そのあとイヤでも見えるようになってしまいそうなので、怖いのが苦手な私は「やっぱ見えなくていいや」って思います(笑)見たくないのに見えてしまうのはツラいだろうなあ。

>説明がつきさえすれば
>とりあえず安心できるものね(笑)

 「わかりません」と自信を持って言えるのは科学の強みですけど,一般ウケは悪いかも知れませんね(^-^;

投稿: ハブハン | 2009年11月23日 (月) 20時55分

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