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タイトルつけ忘れるくらいイッパイイッパイだったw(←ということでタイトル追記しました)

 一ヶ月ぶりの休みでした。寝て過ごしたけどw

 何日かは定時で帰ったりもしてたんですけど、休みが無いと徐々に徐々に疲れがたまっていきますね。半年くらい休んでないヒトの話とか聞いたりしますが、 ワタシ的には1ヶ月でもうイッパイイッパイです(^-^;
 うう、明日からまた仕事か・・・

 そんなわけで、なかなか文章を練り上げる時間もないんですが、あんまり放ったらかしにしておくのもなんなので、ただのメモ書きですけど、あげておきます。

 日曜日午後6時からのNHKの番組、「ハーバード白熱教室」。って、もう次が最終回だけど(^-^;
 マイケル・サンデル教授の政治哲学の講義の内容が紹介されています。
 1ヶ月前に放送された第6回、「動機と結果 どちらが大切?」を、やっとこ今日、録画で見ました。
 ドイツの哲学者、カントの著作、「人倫の形而上学の基礎付け」について論じています。

 以下、本当に散文的です。スミマセン・・・

*****

 道徳性の最高原理とは何か。
 自由とは何か。

 個人が神聖であり、権利の担い手である理由は、自分自身を所有しているからではなく、私たちが理性的な存在だからである。
 私たちには自由に選択し、行動する能力がある。

 自由と必要は相反するものである。

 自律:自由に行動すること。自分自身で与える法則に従って行動すること
 他律:自分自身で選んだのではない本能的な衝動や欲望(傾向性)に従って行動すること

 自由に行動すること=自律的に行動すること=自分自身で与える法則に従って行動すること

 ナニが行動に道徳的価値を与えるのか
 行動に道徳的価値を与えるのは、そこから生じる帰結でも、結果でもない。行動を道徳的に価値のある物にするのは、動機意思の質、そして行為がなされる意図である。
 行為の道徳的価値は、動機に基づく(正しい行いを正しい理由でする、ということ)。

 善意はその結果や成果のために良いものになるのではない。それ自体が良いものなのだ。
最善の努力をもってしてもナニも達成しない場合でも、善意はそれ自身が待ったき価値を持つものとして宝石のように光り輝く

 行為に道徳的価値を与える唯一の動機は「義務の動機」

 「義務感から何かをする」コトの反対は傾向性に関係するすべての動機。傾向性は私たちのすべての欲望、すべての偶然に与えられた願望、衝動などを意味している。

 一例。
 買い物に不慣れな客が来て、店主は彼に渡すお釣りをごまかしても、彼にはバレないことを知っているとする。そこでもし「この客のお釣りをごまかしたら噂がたち、評判が傷つき、客が来なくなるだろう」と考えて正しい釣銭を渡したとしたら、彼は自己の利益という間違った理由で正しいことを行っただけで、その行為に道徳的価値はない。

 人が義務によって行動し、傾向性や自己の利益、道場、他人の利益といった動機に抵抗するとき、人は初めて、自由に、自律的に行動していることになる。
 その時になって初めて、人間の意思は、外部の考慮事項に決定されたり、支配されたりはしていないと言える。

 私たちは自律的な存在として自分に法則を与えるが、そこへ導く理性は一つである。私たちが自律的に法則を与え、それにしたがって行動したとき、道徳法則は共有される。

 カントの3つの対比。

(1)道徳性
  動機の対比
  義務 ⇔ 傾向性

(2)自由
  意思の決定の対比
  自律的 ⇔ 他律的

(3)理性
  命法の対比
  定言命法 ⇔ 仮言命法(目的に対して手段を選ぶ)

 もし行為が単に別の何かのための手段としてのみ良いのであれば、命法は仮言的である。
 行為がそれ自体において良いと示され、それゆえそれが理性と一致している、意思のために必要であるなら、命法は定言的である。

*****

 まだまだ続きがあるけどここまで。ってか、まだ見てないw

 おお、なるほど、と思う部分もあったし、チンプンカンプンな部分もあったけど、取り敢えず、自分が日常的に使っている範囲でコトバの意味を捉え、理解しようとすると、絶対誤解しそう、というコトは分かりました(^-^;
 「理性」とか「道徳」とか「善意」とか、恐ろしくせまい(せまいと言うか厳密な)意味で使われていて、多分私たちが思いつく道徳や善意って、ほとんどのモノはここで言ってるコトには当てはまらないんだろうなあ。


 番組(途中で出てきた店主の例)を見ていてなんとは無しに思い出したのが、FSMさんのブログ「ほたるいかの書きつけ」内の記事。

<リンク1>
『an・an』血液型特集:献血ルームで占いとは…
<リンク2>
善意

 私個人は、順番待ちのヒマつぶしとしてなら、占いがあってもいいかな、とは思います。でも、献血したヒトだけが占いを受けられる、とか、どうもやっぱりエサとして使っている雰囲気がプンプン。

 もし占いがなかったら献血量が減っちゃう・・・なんてコトだと悲しい。
 せっかくいいコトをするんなら、道徳的価値を持った行為としてしたいですね。

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