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「科学的に正しい」について、もっかい考えてみた

 おなじみkikulogさまのコメント欄で勉強になったものをメモ。

 って、だいぶ前に見つけてたんですけど、忘れてました(^-^;

エントリ「日本ホメオパシー医学協会にダメだしされる」内の、きくちさんのコメント
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1281022493#CID1281407584

「ホメオパシーは科学的には否定できても論理的には否定できない」ですよね

それ自体は当たり前の話で、たぶんこのブログにも書いたことがあると思いますが、自然科学の問題で「そもそも論理的に否定できるもの」ってどういうものがあるのか。

公理から出発するならいいですけど。

僕がよく引き合いに出す例は、「明日もエネルギー保存則が成立しているであろうことを示す論理はあるか」で、そんなものはないんです。

自然科学はあくまでも観察に基づいて法則を見出し、それによって自然を記述します。「法則」を「公理」として論理を作るなら、まあその先は論理的にいけますが、そもそも「法則」というのは経験の集成であって、絶対に正しいのかどうかは誰にもわかりません。

(中略)

でも、そこで「ダメな相対主義」に走らないことが、科学としてはだいじなんですけどね。

(中略)

ニセ科学全般に、あくまでも「科学的に検証されない」とか「既知の科学的事実と矛盾する」という理由で否定されるのです(それ以前にたいていの泡沫疑似科学は「意味がわからない」になるとは思いますが)。
特に、後者は極めて重要です

ひとつの実験を説明するだけなら、どんな説明もありえます。僕はよく「あらゆるものは前世とオーラで説明可能」といいます。

科学的説明がそういった説明と本質的に違うのは、さまざまな現象の整合性を重視することと予測・検証による説明の修正・確認があることです。

ホメオパシーの説明が「水の記憶」なら、その説明は水に関する他の科学的事実と矛盾してはならないし、またホメオパシー以外にも「こういう実験をすれば、水が記憶することをたしかめられるはずだ」という実験計画も作れなくてはなりません。ホメオパシーくらいしか説明できず、ほかの実験ができないなら、科学的説明としてはどこかが間違っているわけです。

 「科学的に正しい/正しくない」っていう言葉、一般にはちょっと違った意味で捉えられてるんだけど、じゃあホントはどういう意味なのか、って言うことについて、理解を深めることができたと思います。

 「科学的に正しい」って言われると、なんだか絶対に正しくて、それ以外のことは間違いであると断定されたような気分になります。
 私が生きてきた、長くもなく短くもない年月の中で、「科学的に正しい」って言われていたことが実は正しくなかった(今では別のことが「科学的に正しい」とされている)コトって、結構あった(※1)んですけど、それでもやっぱり、客観的な指標でもって共通の結論が得られる科学は、今の社会では別格。
 ただ、適正な範囲を越えて別格扱いされているところがあって、私たちは「科学的に正しいもの」をついつい絶対視してしまいます。

 「科学は絶対ではない」ってコトバ、ホントはこういう風潮を懸念して言われるべきものだと思うんですけど(そしてその意味では正しいコトバなんだけど)、今はもっぱらニセ科学側の人がいいように利用している印象です。「科学は絶対ではない。だから科学が進歩すれば,将来は認められるようになるに違いない」みたいな。
 でもそれはもちろん違ってて、ホントは正しいのに、いま科学的に正しいと認められていないモノは、もしかしたらあるのかも知れないけれど、いま認められていないものがナンでもカンでもホントは正しい、とは言えません。

 今の走り高跳びの世界記録はいつか塗り替えられるかもしれないけれど、塗り替えるのは血の滲むような努力を続けているアスリートの誰かであって、その辺のおっちゃんではないってこと。・・・いや、おっちゃんだって少なくともそこを目指すことはできるんですけど、ソファで寝そべってポテチ食べながら「そのうちオレが」っつっても、そりゃハナで笑われます。


 以下、ちょっと話題がはなれますが、

 これは前にも書いたことだけど、科学的に正しくないことを選ぶ自由もあるわけです。

 「感染症や、自然災害や、怪我や、飢えや、その他もろもろのリスクで平均寿命が30歳になったって構わないから、私は自然に生きたい」っていう人にとって、「科学的に正しい」ってあまり意味のないこと。
 逆に言えば、現時点で科学的に正しいとされているコトを否定する行為は、「平均30歳で死んでもかまわない」って価値観とセットでなくちゃおかしい、と、私は思います(※2)。

 もし「科学を拒否したほうが、安全で健康で長生きできるんだ」と思い込んでやってる人がいたとしたら、それはやっぱり間違ってます。

<注釈>
※1
 たとえば「宇宙の膨張は加速している」は、私にとってすっごい劇的な転回だったんですけど、世間では思っていたよりも大騒ぎにはならなかった印象です。専門家だけでなく、もっと世間一般で騒がれると思ってました。

※2
 まあ、科学をイッサイガッサイ拒否する極端な人はそうはいないでしょうけれど(^-^; 一部にしろ拒否するのであれば、それに見合ったリスクの増大を見込んで決断するべき、ですよねえ。

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