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体験談を信じちゃうキモチを考えてみた

 今日のエントリはとりとめも結論もありません(^-^;

 科学/ニセ科学界隈を眺めていると、次のようなコトバをよく目にします。

 「体験談は効果があることの証明にはならない」

 これ、私は最初に聞いたときにスッと腑におちて、とても分かりやすいと思ったのだけれど、あんまり世間一般の共通理解になってはいないですよね。
 体験談のなにがいけないの?、だってこれ、事実でしょ?みたいな。

 じっさい、体験談はとっても魅力的。自分の興味あるコト、もうちょっと何とかしたいと思ってるコト、コンプレックスに関係するコトなんかでは特に。
 「効果は科学的に証明されていない」って言われてもなお、「それでも、もしかして」って思っちゃいます。そう思っちゃう自分のココロをよくよく眺めてみると、以下の2つの思いがありそう。

1.ミンナには効かないかも知れない。でも実は、ごく一部のヒトたちにだけ劇的な効果があるのを、「科学」は見逃しちゃってるのではないか。そして自分ももしかしたら、ごく一部に当てはまるのではないか。

2.実験レベルで、クスリを服用するみたいに使ったんでは効果はないのかも知れない。でも、普通の生活の中で利用するモノなんだから日常的に食べているモノや、生活の中の何気ない習慣みたいなものとの組み合わせで効果を発揮することもあるのではないか。そして実験する科学者たちはその要素を見逃してしまっているのではないか。

 そして、体験談の存在こそがこのような考え方を裏付けているのではないか、と感じちゃうんですよね。

 限定的な作用や交互作用を見逃す可能性がないか、っていうと、ゼロではないですよね。
 1000人中1人にしか効果のない(他のヒトにはまったくの無影響の)モノは、100人を対象にした調査では見逃される可能性があるでしょう。
 交互作用の存在が見逃されて、ノイズ扱いされちゃうケースもあるかも。

 また(私だけではない、と思うのですが)ヒトには主人公幻想というか、自分が特別な存在であると思ってしまう部分があります。1000人に1人のコトが、自分には当てはまるんじゃないか、みたいな。

 両者があいまって、見逃してしまうことに対するもったいない感、場合によっては脅迫観念に近い気持ちを抱いちゃうんですよね。千載一遇のチャンスを逃してしまうんじゃないかって言うキモチ。

 と、ここまで考えて疑問を感じるのが、じゃあ、そういったレアケースを期待して、効果が確認されていないモノを採用することは、まったくのあてずっぽうでテキトーなモノを採用するのと、なにか違いがあるのか、というコトです。
 たとえば代替医療を選択し、医療を拒否するヒトたちは、自分が選択したモノが正真正銘のヤクタタズである可能性を、まったく考えないのでしょうか。

 と、もうひとつ別の考え方がでてきそう。つまり、

3.人間のカンや経験はばかにできない。なにかありそうだと直感したとき、そこには実際に何かが隠されているかもしれない。

 うん、カンと経験、すっごく頼りになりますよね。科学が無い時代には、カンと経験のおかげで、人間は30~40歳くらいの寿命を維持できていました。
 いや、これはぜんぜん皮肉とかじゃなくて、もしカンと経験が使えないモノだったら、長生きどころか、人類なんてとっくの昔に絶滅しちゃってたでしょう。
 カンと経験はとっても大事。とっさの判断が必要な場面などでは、今でも役に立つこと、いっぱいあるんだろうと思います。
 ただそれが、きちんと確立されている科学的知見を無視したり、否定したりする根拠になっていたりして、うーん・・・(^-^;

 いくつかの非科学は、実効性を期待して選択されてます。一部の代替療法とか。
 ただ、非科学と実効性はすこぶる相性が悪い。というか、実効性の確認の部分はまさに科学の独壇場なわけで、科学的手法にのっとって調べるかぎり、効果を証明する結果なんかビタイチ出てこない。
 ただ、そこで非科学側の人が反発するココロの底には、上で書きつらねた様な思いがあるのだろうと思います。
 「今この瞬間も苦しんで、この治療を待ち望んでいる人が山ほどいるのに機械的に切りすてて否定するだけなんて、けっきょく科学には、真実を見つけ出す力なんてないんだっ」みたいな感じかな。

 以前ご紹介した「デタラメ健康科学ー代替療法・製薬産業・メディアのウソ(原題「BAD SCIENCE」)」には、ホメオパシーのレメディ開発プロセスである「プルービング(proving)」が紹介されています。

(p.47より引用)

    ボランティアの被験者を集め(人数はひとりから数十人までさまざま)、プルービングしたいレメディを二日間で六回摂取してもらう。その間、心や頭や体に感 じたことは夢も含めてすべて日記に記入させる。プルービングが終わったら、「マスター・プルーバー」と呼ばれる人が日記の情報をつき合わせる。そして、少数の人から集めた症状や夢についての長い乱雑なリストができあがる。それがレメディのひき起こす「症状像」となり、大きなノートに記されて、場合によって は時代を超えてあがめられる。ホメオパシーの診療所に行くとホメオパスはあなたの症状を見て、プルービングでどのレメディが誘発した症状と一致するかを判断する。

 このやり方で得られたリストが、体験談の集合体にしかならない、そしてどれほど膨大な体験談を集めても、科学的知見にランクアップすることがないのは明らかですが、体験談の中にこそ科学が切り捨ててしまった宝物が眠っているんだ!って信じているヒトたちに、じゃあどのようなコトバなら届くのか。
 難しいです。

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