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読書感想_毒と私(6)

 前回の続きです。って、いつまで続くんだコレ(;;;´Д`)
 えーと、とりあえず、「はじめに」だけでも、ひと通りはさらっておきたいと思います。ってことは、あと2〜3回、かな?

<過去のエントリ>

読書感想_毒と私

読書感想_毒と私(2)

読書感想_毒と私(3)

読書感想_毒と私(4)

読書感想_毒と私(5)


<助産師がK2ドロップを投与しなかったことは、正当化できるのか>

 本書の中では、助産師の不投与行為そのものの是非についても触れられています。

(p.8より引用)

 また当時、ビタミンK2シロップの投与は助産師業務において、義務化もガイドライン化も明確になされていないものでした。

 今回の事件を受けた各団体(すべてのホメオパシー団体を除く)の対応を見れば、K2シロップの投与が推奨され、実施されるべきものと位置づけられているコトは明らかですね。
 「ルールで決められていないから」という理由で、平気で逸脱する人間が増えていけば、ガイドラインや各組織の管理体制が見直され、整備されることになっていくでしょうし、実際そうなっています。
 あんまり「ルールはありませんでした(キリッ」的に書くことではないと思います。

 なお、「助産師業務におけるガイドライン化」という限定された条件に合致するかどうかはともかく、1989年の時点で厚生省から「乳児ビタミン K 欠乏性出血症の予防対策」が指針として提示されています。
リンク先http://www.jsog.or.jp/PDF/62/6209-293.pdfの2ページ目、表2にまとめられています。

 第一子のときにそうであったように、この母親にはビタミンK2シロップを拒絶する権利があり、それを行使しただけにすぎないのです。

 個人的には「権利」という表現に違和感を覚えないではないですが、まあそれは措いて。
 母親の権利はともかく、助産師の「権限」的にはどうなんでしょう。助産師も権限を「行使しただけにすぎない」のですか?

(p.8より引用)

 だからといって、この事件に関し、助産師にまったく責任がないとは考えてはおりません。ビタミンK2をとらないのは、本人の希望であるというサインをもらっておくべきであったでしょうし、母親のためとはいえ、母子手帳に「ビタミンK2投与」と書くべきではなかったと考えます。

 「サインをもらっておくべきであった」というのは責任なんでしょうか。サインをもらっておかなかったのは、どんな責任に当たるの? 「サインをもらっておけば、自己防衛になったのに」っていう意味なら分かるんですけど、それは責任うんぬんの話では無いですよね。
 んで、サインが有効に機能するのは、その前段階としてインフォームド・コンセントが成立している場合のみです。当たり前ですよね。前回のエントリで書いたとおり、そこの説明がまったく不十分だと思います。

 「ビタミンK2投与」と虚偽の記載をしたのは、確かに助産師の責任、それも法的責任が問われてもおかしくなさそうなコトですね。この部分は「まったく責任がないとは考えていない」レベルではなくて「まったく責任があった」と言って良いのではないでしょうか。
 「書くべきではなかった」という表現も、「推奨しない」程度のやや弱いニュアンスで受け取られる可能性があります。私なら「『ビタミンK2投与』などと、けっして書いてはいけなかった」と表現します。

 あと、K2シロップの投与/不投与の判断行為、また、実際の投与/不投与の行為が医療行為に当たると認識しているのか、当たらないと認識しているのかについても、見解が欲しいトコロ。どんな意味合いで「責任」と書いているのか、ということですね。
 上でもちょろっと書きましたが、助産師には、これらの行為に対する権限があるとお考えなんでしょうか、ないとお考えなんでしょうか。

 当該引用部分についてmimonさんからいただいたコメントも載せておきます。

裏返せば、母子手帳に虚偽記載をせず、本人のサインがあれば、適法だったかのように述べているわけです。
これを書きたくて、内容を秘匿した和解に持ち込んだようですね。
民事は、不法行為に基づく損害賠償ですから、判決が下れば、どこに「不法行為」があったのか、理由が明示されます。
私の乏しい法律知識では、「業務上過失致死傷」に該当しますので、前述のような書類の不備なんて、どうでもいいのです。

 助産師の責任として挙げられているのが虚偽記載と親のサインだけ、というのは私も疑問に感じました。
 サインをもらわなかったこと、虚偽の記載をしたことだけが責任?
 この2つの逸脱さえなければ当該助産師にはなんの問題もなかったし、これからも、この2点の逸脱にだけ気をつけて、K2シロップの不投与を続ける、ということでしょうか。
 日本助産師会を始めとして各団体の姿勢が明確に示されている今、今後は同じようなコトが起こらないと信じたいのですが、ちょっとコワいです。

<ホメオパシーは有害?>

(p.9より引用)

<報道内容>
・ホメオパシーは現代医学を否定して、患者を病院から遠ざけているから有害である。

<私たちが知る事実>
 いいえ、ホメオパシーは現代医学をいちがいに否定してはいません。少なくともJPHMA(引用者注:日本ホメオパシー医学協会の略)は、会則で病院での検査の必要性を説いていますし、骨折や臓器不全などをはじめとする現代医療が必要な重篤、あるいは緊急のケースでは、医者の治療を受けるよう指示しています。

「いちがいに」の意味を調べてみました。

【いちがいに】
(多く下に打ち消しの語を伴う)すべて同じようには扱えないさま。一まとめにして。ひとしなみに。おしなべて。「−そうとは言えない」(スーパー大辞林3.0)

 ということで「いちがいに否定していない」ってのは、「すべてを否定しているわけではない」って意味で、一部は否定している、というコトですよね。
 んで、ナニとナニとナニを否定してんの?

 重篤なケース、緊急のケースであるかどうかを診断するのは、いったいダレですか?
 骨折はともかく、ホメオパスや一般の人に「コレは臓器不全だ!」なんて、判断できるの?

 私が思うに、もっとも正確に判断できるのは、お医者さまです。
 だからここは順序が逆。
 何らかの症状が現れたときはまず診察を受けて、病気を特定してもらう、そしてそこで「ナニもしなくても自然に回復するでしょう」という診断、あるいは少なくとも原因不明、処置なしという診断がくだされた後でなら、ホメオパシーの出番があるかも知れないですね。
 ロクに訓練も受けていない人間に対して「重篤な時には(その時だけ)治療を受けてね」みたいな言い方をするのは、判断の誤りをまねきリスクを増やす、不適切な指示だと思います。

 この点について言うなら、日本ホメオパシー医学会の「医師の資格を持った人間でなければ、ホメオパシー治療をすべきでない」という主張はまだしも妥当に感じます(※1)。

>現代医学の薬で症状を抑圧すると、ホメオパシーで高めようとする自己治癒力を低下させることがあるとお伝えはしていますが、薬の摂取を止めよなどの強制はしていません。

 ・・・強制なんかしていたら論外ですが、それはともかく、

(p.6より引用)

また、生後間もない赤ちゃんに、出血を防止するために人工物を投与することが、本当に悪影響をもたらすことはないのでしょうか。K2シロップは副作用がないといわれていますが、長期的に見ても安全なのかは、誰にもわかりません。

 っつーのは、どのへんが「ホメオパシーで高めようとする自己治癒力を低下させることがある」お話なんでしょうねえ。
 うーん、もしかして、「根拠もなく『現代医療』の危険性を煽り立てる行為」は、「現代医学の否定」ではない、というお考えなんでしょうか。理解するのがちょっと難しいです。
 しかしそのような価値観をお持ちのかたが、「根拠をもってホメオパシーの危険性を指摘する行為」を「バッシング」と表現するのは、とっても興味深いことですね。まあ見慣れた光景ではありますが。

 なお、ホメオパス、ひいては著者自身が、過去医療を否定する言動をとっていたことはいろいろなトコロで紹介されていますが、一連のエントリは本書に話を限定していますので、ここで取り上げることはいたしません。しかし、一冊の本の中ですら矛盾しているように見える記述が出てくるのは、なんとかしていただきたいです。

 私たちホメオパシーを使う者は、緊急を要する病気でないなら、まずは自己治癒力を使い治そうとします。何から何まで薬や病院ではなく、自分の体や心に一人ひとりが責任を持ち自分の健康は自分で守る姿勢がとても大事だと考えています。

 最善の手段を検討し、治癒の可能性がもっとも高いという判断のもとに医療を選択するヒトたちのコトを「自分の体や心に責任をもっていない」「自分の健康を自分で守っていない」と評するかのような表現はとっても不快です。
 自分の自然治癒力を信じて医療を選択せずに治そうとすることを否定はいたしませんが、それが家族や社会に対してより大きな責任を果たそうとする態度だとは、私は思いません。

 仮にホメオパシーが現代医学を否定することが有害なのであれば、現代医学がホメオパシーを否定することも、患者の治療の機会を奪うという意味で、同じく有害であるはずです。

 ホメオパシーは「治療」なの? もし医療行為なら、それを行うために守らなければならない法律からことごとく逸脱しているように見えるんですけど。

 なぜなら、ホメオパシーは200年の歴史と膨大な治癒実績のある療法だからです。

 これとまったく同じ理由で、瀉血や類感呪術、生贄を捧げての祈祷、悪魔を追い出すための踊り、などは、ホメオパシー以上の歴史と治癒実績のある「療法」と言えますね。
 著者がもし、それらの「療法」をホメオパシーよりも有効であると認めているのであれば、一貫はしていると思います。

 ところで、ここではどうやら二重の意味で「否定」のコトバが使われていそうですね。

 「現代医学」がEBMに基づいて、ホメオパシーに効果はないと結論づけるのは、まあ確かに(効果があるという主張の)否定なんですが、この否定は患者の治療の機会を奪うという意味にはなりません。ホメオパシーの利用はそもそも治療ではない、という意味になります。

 一方で、著者が「バッシング」と称する社会的な動きもホメオパシーの否定と呼べるかも知れませんが、この否定の理由は、一部のホメオパシー団体、ホメオパスの言動の、更に一部分が有害だから、です。
 なぜ有害なのかといえば、「患者の治療の機会を奪う」から、ですね。
 もしホメオパシーが「現代医学」を否定しなければ、有害とは見なされないかも知れません。しかし実際には有害と見なされています。医療を否定しているから。

 否定していない?

また、生後間もない赤ちゃんに、出血を防止するために人工物を投与することが、本当に悪影響をもたらすことはないのでしょうか。K2シロップは副作用がないといわれていますが、長期的に見ても安全なのかは、誰にもわかりません。

 ホントに?

 ・・・う、前回と同じ引きにしてしまった(^-^;

 まあ、ホメオパシー団体やホメオパスの言動が医療の否定になっていないかどうかは、セミナーや講演の前後で、はじめて参加したヒトを相手にアンケートでも取ってみればはっきりするんじゃないかな。
 ただ、そんなことをしなくても、ホメオパシーがなにかしら効果を謳った時点で、多少にかかわらず医療の忌避が発生するのは避けられないことです。

<注釈>
※1
 もちろん他の点を見れば、日本ホメオパシー医学会の主張にも問題はあると思います。
 医師がプラセボを処方することの是非などもそうですが、現時点では、様々な流派が入り乱れ、逸脱に対して抑制ができていない状態のホメオパシーに、医師がお墨付きを与えるように見えてしまうのがもっとも大きな問題だと私は考えます。

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