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読書感想_毒と私(8)

 復帰しました。んで、前回の続きです。

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<科学ではまだ解明できていないだけだだだっ>

 ホメオパシーが効く/効かないについて書かれている部分は、まあありがちな主張が並べられています。

(P.11より引用)

 ホメオパシーに反対の意見のほとんどは、ホメオパシー療法に用いられる「レメディー=原物質が残らないほどに希釈したもの」は、科学的に言えばただの砂糖玉やアルコールであり、効果があるわけがないというものです。

 原物質が一分子も残っていないからただの砂糖玉だ、アルコールだというのは、それはまあその通りなんだけど、それでもなおキチンと効果が得られるなら、誰も否定なんてしませんってば。
 よほど考えづらいことですから、より厳密に調べられる、ということはあるかもしれませんけど、それは他のあらゆる仮説でも同じこと。逆に言えば、もし事実ならそれだけインパクトが大きいというコトです。

 大切なのは原理的にありえる、ありえない、ではなく、実際に効果が確認できるか、できないかです。だからこそ、適正な試験だけを集めて分析したら効果はない(プラセボと同等と考えて矛盾しない)という結論が得られたランセット論文が重要な意味を持つわけで。もし科学者たちが「原理的にありえない」で済ましているなら、わざわざリソースを投入して評価を行い、論文にしたりしませんよね。
 んで、効果がない、というコトが明らかになったら、その次に「ま、フツーに考えりゃ、砂糖玉だし、原理的にもありえないよねえ」となるわけですね。

 科学者たちは、自分が原理的にありえないと思っていること、ましてやきちんとした調査で効果自体が否定されていることを、わざわざ自分のお金と労力を払って改めて確かめようとはしないでしょう。
 頭が固いですって?
 科学者の使えるリソースは有限です。ありとあらゆるコトを確かめることは出来ません。世の中には有望そうな仮説から原理的にありえない主張までさまざまなモノがありますが、なぜ下から確かめないといけないの?
 「原理的にありえない」コトを確かめるのは、少なくとも「原理的にはありえる」コトを調べ尽くした、その後だよねえ。

 でもね、信じているヒトが自ら確かめようとするなら、誰も止めません。キチンとした知識と技術と資格を身につけた上で、自分でお金をかけて検証してみればよいのではないでしょうか。

 必ずしも金額の問題ではありませんけど、いまの医薬メーカーは莫大なコストをかけて効果と安全性とをきっちり確かめています。ちゃんと効果を認めてもらいたいと思うなら、同じコストをかける覚悟が必要ですよね。

 彼らは、自分自身レメディを使ってみることもなく、ホメオパシーはカウンセリングであり、レメディはプラシーボ(偽薬)効果を持つにすぎないと主張しています。

 「自分自身レメディを使ってみる」コトが、効果を確かめる上でなんの役にも立たない、というコトを発見したのが、科学(医療)の大きな進歩を促したと言えるかも知れませんね。

 私は不思議に思います。人間はいつから、科学で解明できない事象は存在しないと結論づけられるほど偉くなったのでしょう。なぜ、現代の科学では「まだ」解明できていないだけだと考えることができないのでしょう。

 科学でまだ分からないことがある、のは当然です。たぶん未来永劫、なにかしら分からないことは存在し続けるでしょう。にもかかわらず、現時点で認められないから、ないものとする(あるいは否定的な結果が得られているから否定する)というのは、べつに偉いからでもなんでもなくて、当たり前、いや、むしろ必須のことです。
 そういう切り分けをするからこそ科学の有用性を保てているわけで、科学的知見は認める、でも科学的知見でないものも認めるでは、結局なにも判断できないのと同じです。なんでせっかくフルイにかけたものを、もっかい混ぜないといけないんでしょう。

 「科学的知見として認められる」というコトは、科学に携わっていない人間からは非常に高い、不当に高すぎるハードルに見えるかもしれません。
 しかし、科学的知見として認められているものは、現にそのハードルをこえて、いまの位置にいるのです。
 なんでハードルをこえられていないモノを尊重して、キチンとハードルをクリアしている知見をないがしろにしなくちゃなんないの?

 さて、こういうコトを言っていると、「なんだよ、なんでもかんでも科学の基準が絶対なのか? この科学主義者め」みたいに思われちゃうかもしれませんから付け加えておきます。
 世の中は科学が全てではありません。
 科学的知見として認められているかどうかなんて関係ないこと、でも、人生においてとっても大切なことなんて、たくさんありますよね。
 逆に、科学なんてなんの役にもたたないクズか、というと、もちろんそうでもありません。
 世の中には科学が有効に機能するコトと、そうでない(関係ない)コトがある、それだけです。

 んじゃあ、どんなときに科学が有効なのか?
 私は「定量化可能な目的をより効果的・効率的に達成するうえで、科学的手法の適用及びその結果得られる知見はより有効だ」と考えています。
 で、病気を治療する、という目的は定量化可能なので、医療には科学的手法を適用し、知見を応用することが有効に機能するわけです。
 逆に言えば、病気を治療する以外の、定量化不可能な目的を掲げれば、科学の枠の外では有益なものになれるかも知れませんね。

 ホメオパシーには効果がないと断言できる方は、控えめに言っても傲慢とのそしりを免れ得ないでしょう。

 ホメオパシーには効果がありません(きっぱり)。
 ところで、効果がないと結論づけられているもの、少なくとも効果の確認すらまともにできていないものを「効果がある」と主張するかたと、どちらがより傲慢なのかについては、見解の相違があるかも知れませんね。他人の健康、生命がかかっているならなおさら。

 賢明な方はすぐに理解されるでしょうが、「ホメオパシーはリスクが高い」とバッシングすることは、ナンセンスです。レメディーは天文学的に薄めているアルコール溶液を砂糖玉にたらしたものですから、物質的な副作用はありません。

 レメディにリスクが無いことは、ホメオパシーにリスクが無いことを保証しませんね。わかってて「ホメオパシー」を「レメディ」にすり替えてんのかしら。
 
 ところで、これはもしかして、「科学的に言えば副作用はありえない」という主張ですね。なぜ副作用は「まだ」解明できていないだけだと考えることができないのでしょう。
 ホメオパシーには副作用がないと断言できるかたは、控えめに言って、えーと、なんでしたっけ? 

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コメント

こんばんは。

エントリーを読みながら思わず「ブーメランストリート」をかけてしまいました。
西城秀樹並みに華麗な投擲の、これまた丁寧な解説、お疲れ様です。

「自分自身レメディを使ってみることもなく~」は、
信者さんのブログとかでよく見ますけど、いまだに何の事だかさっぱり。
医薬品開発の場で日々悪戦苦闘する身としては、
「ちょっと奥さん」レベルのエビデンスで薬もどきを売れるなんて非常にうらやま、
じゃなかったけしからんです。

投稿: ari | 2011年9月25日 (日) 00時33分

ariさん、こんにちは。

 明らかな二重基準が、同じページにほぼ並べて書かれているのでとってもインパクトがあります(^-^;
 フツーの本に出てきたら、ツッコミ待ちのネタと判断するところです。

>「自分自身レメディを使ってみることもなく~」

 ホメオパシーを愛好なさっているかたの中で、かなり多くのかたが劇的な経験をもって回心なさっているんだろうなあ、って感じます。
 何年も悩んでいたアトピーが1週間で! みたいな経験をしちゃうと、まあ気持ちは分からないでもありませんけど、それだけの効果がホントにあれば、臨床試験でキャッチできないはずはないですけどねえ。

>医薬品開発の場で日々悪戦苦闘する身としては、「ちょっと奥さん」レベルのエビデンスで薬もどきを売れるなんて非常にうらやま、じゃなかったけしからんです。

 こないだ会社で「うっわぁコレ、み◯◯◯たの健康情報なみに怪しいー!」って口走ってしまったのですが、意外に通じましたw
 ああいうのも、年代によってかなり受けとめ方が違うみたいで、私と同年代かそれより下のヒトは、冷めた目で見てるヒトが多い印象です。まあ、別の人が言ったら今度はコロッといっちゃったりするのかも知れませんが。

投稿: ハブハン | 2011年9月25日 (日) 21時18分

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