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読書感想_毒と私(9)

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<患者の選択の権利について>

 「患者にはホメオパシーを選択する権利がある」って言われても、患者が権利を十全に行使するにも前提があるわけで。

 患者さんには、療法を選択する権利があると私は思います。現代医学が完全な治療法でないとするならなおさらです。すべての人がまったく同じ行動をとるような社会は不気味ですし、民間療法や代替医療を選ぶことができる世の中は素晴らしいと思います。

 患者さんの選択の権利を護るうえでとても大切なのは、情報を可能なかぎり正確に伝えることによって、患者さんの意思と、実際の選択との間にずれが生じないようにすることです。
 患者さんが毒にも薬にもならないモノを効果的だと信じて選択したり、とても効果的かつ軽微な副作用しか無い治療を「毒がたまる」などといって忌避したりするなら、選択の権利は著しく損なわれていると言えるでしょう。

 私は、以下のような行為は、患者さんの選択の権利を不当に損なうものであると考えます。

(1)
「長期的にはどうなるか分からない」「どんな悪影響があるか誰にもわからない」「将来生まれてくる子供に害を与える」などと言って、ありもしない危険性を煽る行為
(2)
「現代科学ではまだ解明されていないだけ」「治った人がたくさんいるのは事実」などと言って、確かめられてもいない効果を謳う行為
(3)
「医者は頭でっかちで、現実を見ようとしない」「症状を押さえ込むことしか考えず、全体を見ようとしない」「機械的で冷たい」などと言って、適切な知識と技術を備えた医療従事者の信用を失墜させる行為
(4)
「一向によくならないのは全身に毒が溜まっているから」「症状の悪化は好転反応である」などと言って、患者の健康状態を誤認させる行為
(5)
「今の苦しみは、前世・過去の業によるもの」「対症療法で不自然に病気から逃れても、結局は苦しみを長引かせ、子々孫々に害をおよぼすだけ」などと言って、健康回復に向けた患者の意欲を奪う行為

 なお、本書でこのような行為がされているわけではありません(一部されてるけど)。

 たとえば、一般的に病院での出産よりも助産院、自宅出産はリスクが高いとされていますが、だからといって自然出産を選ぶ人を非難することはできません。
 また、どんな薬にも副作用というリスクがあることはご存知でしょうか。さらに、自動車のリスク、飛行機のリスクなど、リスクを挙げていけばきりがありません。

 ・・・なんだか、ホメオパシーのリスクを認めちゃってるように見えますね。
 それはともかく、いろいろな行為にリスクがあるからこそ、ベネフィットとリスクを天秤にかけて行動を選択するわけですよね。んで、病気の状態では、なにもしないこともまたリスクである、ということもしっかり認識しておく必要があると思います。

 余談ですが、私は母体及び赤ちゃんに対するリスクを承知の上で自宅出産を選択するコトを、いまいち理解できなかったりします。コレばっかりは、実際に赤ちゃんを授からないと分からないことなのかも。

 今回のホメオパシーバッシングは「水に落ちた犬は打て」の典型です。

 私は、患者を泥船に乗せて溺れさせた行為に対する批判だと認識しています。

 ホメオパシー反対派の方は、このような執拗なバッシングによって、患者がホメオパシーを体験することを妨げられ、それによって治るはずの病気が治らなかったとしたら、その責任をどのようにお取りになるつもりなのでしょうか。

 ビタミンK不投与事件では、赤ちゃんが医療を享受することを妨げられ、それによって予防できるはずの事態が発生してしまいました。そのことに対する責任をどう取り、再発を防止するためのどのような方策を立てるのかと思って各団体の対応を見ていましたが、今のところ参考になるような行動は確認できていません。

 ホメオパシーをはじめとする「代替医療」を実践なさっているかたには特にご注意いただきたいのですが、自分が「確かだ」と感じたことが正しい場合ももちろんありますが、実はただの思いこみや偶然だった、ということもたくさんあります。そして(ココ重要→)本人には、それを区別することはできません。
 昔の人たちも、薬になる、確かに効くと感じながら、瀉血をしたり、水銀を服用したりしていたのです。
 世の中にはまだ発見されていない、劇的な効果をもたらす治療法があるかも知れません。ですが、自分のやっているコトこそがそれだと感じ、実施することは、「当たりそうな気がする」と言いながら宝くじを買う行為と、そんなに変わりません。
 万に一つを期待するにしても、かならず医療と併用し、正規の資格を持ったお医者様からの指導を受けながら試していただければと思います。効果がなかった、あるいは害があったときの損失を最小限にとどめるために。

 現代医学でも治療法がないといわれている発達障害ですが、私のところにやって来る発達障害の患者82名の改善率は、89%に達します。

 きちんとした臨床試験によって確認されているならスバラシイことですね(棒読み)。

 私は本書を『毒と私』と名づけました。「毒」とは、このバッシングの中でホメオパシーに張られたレッテルです。

 私はホメオパシーあるいはレメディを「毒」と表現した文章その他は、本書以外では見たことがありません。
 ただ「有害だ」「リスクがある」という表現はあったかも。
 「有害」=「毒」という置き換えをしたのだろうと思いますが、なんでそんな置き換えをするのかはその後を読むと分かります。

 一般に、「毒」とは体を害するものと考えられていますが、私はむしろ「毒」は体に、そして自分自身に“気づき”を与えてくれるものと考えます。

 「毒も少量なら薬になる」「どんなものも度を過ぎれば毒になる」といった一般的な考え方、あるいは「毒出し」「好転反応」などの代替医療的な考え方とイメージを結びつけるために置き換えたみたいですね。「有害」「リスキー」のままでは、まあこういった表現はできないだろうなあ。

ホメオパシーについて知っている方にも、知らない方にも一人でも多くの方に、私が考える健康と幸せについて知っていただきたいと思っています。

 ビタミンK不投与事件を受けて書いた本なら、まずは同じ事件を発生させないための正確な知識と行動について周知するコトを第一の目的にして欲しかったなあ、と思いました。
 関連を認めていなかったとしても、注意をうながすことくらいはできるでしょうに。



 ・・・あああ、やっと「はじめに」が終わったぁ (;;;´Д`)

 さあ、次回はいよいよ本編ですよw

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