「確信」の強さではなく「根拠」の強さが大事、ということ
PseuDoctorさんのトコのエントリを拝見して、とってもタメになったのでリンク。
2.「自分の言動から生じた結果は自分で引き受ける」という事
前項では、ニセ科学批判は、誰がどういう形で行っても構わないと書きました。
但し、ここで1つだけ心に留めておいて欲しい事があります。それは「自らの言動の結果は、自らで引き受ける」という事です。つまり「一人前の大人であるのならば(ニセ科学批判に限らず)自分の言動により生じた結果には(一定の)責任がある」という事です。
(中略)
ここまで「一人前の大人なら、自らの言動に責任を持つ」という姿勢について述べてきました。これは、ニセ科学批判において極めて重要なテーマだと言えます。何故なら、こうした姿勢は批判者に自覚して欲しいだけではなく、むしろニセ科学の提唱者にこそ、こういう姿勢を強く求めたいからです。
つまり、ニセ科学が批判される大きな理由の1つに「自らの言動に責任を持たない」という点があるのです
(中略)
5.自発言の信頼性を増す為の心構え1)発言の論拠を述べる
(中略)
2) 間違えたら訂正する
(中略)
3)解らない点は率直に「解らない」と言う
(中略)
4)自分の言動の影響力に思いを馳せる
(後略)
え、あれっ、耳がイタい!? ・・・えーと、はは、自戒します(^-^;
自分が何かを主張するときに、その主張がナニを根拠にしていて、そしてその根拠がどれくらい強いものなのか、常に頭においておかないといけないですね。今みたいに、個人がカンタンに情報発信できる時代は特に。
もちろんニセ科学側の人は、(商売でやっている場合はべつとして)自分たちの根拠が科学的根拠、それも十分に研究が積み重ねられた定説に匹敵する、あるいは凌駕するほど強いものだと確信しているのは間違いないところでしょう。
「オレは自分のカンを信じる」「ワタシは自分の目を信じる」って感じ? 代替医療で多そうなのは「ワタシは◯◯さんの言うことを信じる」かな? (※1)
でもそれ、中世のお医者さんや患者さんが瀉血に対していだいていた「確信」と同じモノ、なんですよねえ(※2)。
「確信」を捨てるのはなかなか難しいかもだけど、「絶対間違いはない。間違いはないけれど、もし間違いだったら・・・」ということは、しっかり考えておいてもらいたいトコロです。人に勧めるとき、家族で利用しようとするときなんかは特に。
・・・って、長く続けていると、それもムズカシそう(^-^;
でも、大切な人たちのことを考えるなら、避けてはとおれない、とおってはいけないコトだと思います。
私も考え続けていきたいです。
<注釈>
※1
カンや経験は、もちろん有効なことも多いですよね。でも、そうじゃないことも多いですよね。カンや経験に頼っていい(頼らざるを得ない)場合と、頼らないほうがいい場合とがあるのだと思います。
※2
昔のエントリでちょっと詳しく書いています。
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