「現代科学では解明されていないけれど効果がある」
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朝日新聞デジタルより
文化庁は国語世論調査で、例年通り慣用句の使い方も調べた。「にやける」や「失笑する」、「うがった見方」を、本来の言い方で使う人は3割を切るという結果も出た。
「にやける」=「なよなよしている」
「うがった見方」=「物事の本質を捉えた見方」
「失笑」=「こらえきれずに噴出して笑う」
うーん、私もおもっきし違う使い方、してましたねえ(^-^;
たぶん「ニヤニヤする」と混同しちゃってるのかな。語感が似ている別の言葉に引っ張られて誤用してしまうって言うのは、ありそうですよね。
ちょっと調べてみると・・・
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PseuDoctorさんのトコのエントリを拝見して、とってもタメになったのでリンク。
2.「自分の言動から生じた結果は自分で引き受ける」という事
前項では、ニセ科学批判は、誰がどういう形で行っても構わないと書きました。
但し、ここで1つだけ心に留めておいて欲しい事があります。それは「自らの言動の結果は、自らで引き受ける」という事です。つまり「一人前の大人であるのならば(ニセ科学批判に限らず)自分の言動により生じた結果には(一定の)責任がある」という事です。
(中略)
ここまで「一人前の大人なら、自らの言動に責任を持つ」という姿勢について述べてきました。これは、ニセ科学批判において極めて重要なテーマだと言えます。何故なら、こうした姿勢は批判者に自覚して欲しいだけではなく、むしろニセ科学の提唱者にこそ、こういう姿勢を強く求めたいからです。
つまり、ニセ科学が批判される大きな理由の1つに「自らの言動に責任を持たない」という点があるのです
(中略)
5.自発言の信頼性を増す為の心構え1)発言の論拠を述べる
(中略)
2) 間違えたら訂正する
(中略)
3)解らない点は率直に「解らない」と言う
(中略)
4)自分の言動の影響力に思いを馳せる
(後略)
え、あれっ、耳がイタい!? ・・・えーと、はは、自戒します(^-^;
自分が何かを主張するときに、その主張がナニを根拠にしていて、そしてその根拠がどれくらい強いものなのか、常に頭においておかないといけないですね。今みたいに、個人がカンタンに情報発信できる時代は特に。
もちろんニセ科学側の人は、(商売でやっている場合はべつとして)自分たちの根拠が科学的根拠、それも十分に研究が積み重ねられた定説に匹敵する、あるいは凌駕するほど強いものだと確信しているのは間違いないところでしょう。
「オレは自分のカンを信じる」「ワタシは自分の目を信じる」って感じ? 代替医療で多そうなのは「ワタシは◯◯さんの言うことを信じる」かな? (※1)
でもそれ、中世のお医者さんや患者さんが瀉血に対していだいていた「確信」と同じモノ、なんですよねえ(※2)。
「確信」を捨てるのはなかなか難しいかもだけど、「絶対間違いはない。間違いはないけれど、もし間違いだったら・・・」ということは、しっかり考えておいてもらいたいトコロです。人に勧めるとき、家族で利用しようとするときなんかは特に。
・・・って、長く続けていると、それもムズカシそう(^-^;
でも、大切な人たちのことを考えるなら、避けてはとおれない、とおってはいけないコトだと思います。
私も考え続けていきたいです。
<注釈>
※1
カンや経験は、もちろん有効なことも多いですよね。でも、そうじゃないことも多いですよね。カンや経験に頼っていい(頼らざるを得ない)場合と、頼らないほうがいい場合とがあるのだと思います。
※2
昔のエントリでちょっと詳しく書いています。
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今日のエントリはとりとめも結論もありません(^-^;
科学/ニセ科学界隈を眺めていると、次のようなコトバをよく目にします。
「体験談は効果があることの証明にはならない」
これ、私は最初に聞いたときにスッと腑におちて、とても分かりやすいと思ったのだけれど、あんまり世間一般の共通理解になってはいないですよね。
体験談のなにがいけないの?、だってこれ、事実でしょ?みたいな。
じっさい、体験談はとっても魅力的。自分の興味あるコト、もうちょっと何とかしたいと思ってるコト、コンプレックスに関係するコトなんかでは特に。
「効果は科学的に証明されていない」って言われてもなお、「それでも、もしかして」って思っちゃいます。そう思っちゃう自分のココロをよくよく眺めてみると、以下の2つの思いがありそう。
1.ミンナには効かないかも知れない。でも実は、ごく一部のヒトたちにだけ劇的な効果があるのを、「科学」は見逃しちゃってるのではないか。そして自分ももしかしたら、ごく一部に当てはまるのではないか。
2.実験レベルで、クスリを服用するみたいに使ったんでは効果はないのかも知れない。でも、普通の生活の中で利用するモノなんだから日常的に食べているモノや、生活の中の何気ない習慣みたいなものとの組み合わせで効果を発揮することもあるのではないか。そして実験する科学者たちはその要素を見逃してしまっているのではないか。
そして、体験談の存在こそがこのような考え方を裏付けているのではないか、と感じちゃうんですよね。
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なんかもうすでにまとめが存在しているので、私はただの感想。
トンデモ?なコトを信じていた過去をニセ科学批判者(と目されているヒトたち)が公開する、というのがプチ流行。
以下のリンク先から、現時点のものはほぼ縦覧できると思います。
発声練習さま
「過去にトンデモな情報を信じていたのは何故か?」についての各自の考察
非科学を信じることが黒歴史だとは、私なんかは思わないんだけど、まあ、科学と対立する存在として位置づけ、信奉していたら、やっぱり黒歴史なのかな? この辺は、私がオカルトに詳しくないので、ちょっとうまく捉え切れてないかもしれません。
ニセ科学批判者と目される人たちの中でも、少なからぬ人が、過去オカルトや疑似科学にはまっていたっていうのは、ちょとビックリ。まあ、テーマがテーマですから、そういった面を特に強調なさっておられるのでしょうけれど。
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やっぱシンパシー感じちゃうのねえ・・・
ハーネマンアカデミーオブホメオパシー学長、永松昌泰さんのブログ
【ものの道理を考えよう】
ビンラディン暗殺
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前エントリの続きみたいなものですが、メインテーマから外れるので、分けて書きます(ってか、ワタシ的にはこっちがメインかも)。
トラックバックをいただいた当ブログのエントリ。
「「科学的に正しい」について、もっかい考えてみた」
王様は裸だ!Annexさまのエントリ。
「私も「科学的に正しい」について、もっかい考えてみた」
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おおお、Judgementさんからトラックバックが!
トラックバックをいただいた当ブログの過去のエントリ。
「「科学的に正しい」について、もっかい考えてみた」
王様は裸だ!Annexさまのエントリ。
「私も「科学的に正しい」について、もっかい考えてみた」
(記事内容に対する直接的な批判ではないので、ハブハンさんもご安心を)
えと、kikulogその他でのご活躍を拝見していた私としては、↑この一文がいちばんドキドキしたりとかw
で、内容については・・・スミマセン、よく分かりませんでした(爆)
結論に到るまでの理路が完全に追えてはいないのだけれど、私の考え方について説明を試みてみます。
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おなじみkikulogさまのコメント欄で勉強になったものをメモ。
って、だいぶ前に見つけてたんですけど、忘れてました(^-^;
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K2シロップ不投与の問題で、ホメオパスの助産師が提訴されたコト、そしてそれがマスコミで報道されたコトから、ホメオパシーの界隈がにわかに慌ただしさを増しています。
この事件、及びマスコミの関連記事に対して、様々なホメオパス、ホメオパシー団体が「見解」を出していますが、内容はだいたい以下のような感じかな。
1.ホメオパシーはK2シロップの代わりにはならない。そんな処方はそもそも正しいホメオパシーのやり方ではない。
2.医療を拒否することが害につながっているのであって、ホメオパシーを処方していたことが害になったわけではない。ホメオパシーは医療の頑なな拒否を推奨していない。
3.この記事の内容が正しいとは限らない。
4.ホメオパシー叩きのためのでっち上げだ。
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